私がする恋愛は、ひどく消極的である事に今更ながら気付かされる。
誰かを好きになる、というのは意識的に出来る事ではないと思う。
けれど、果たしてそうなのだろうか――
けれど、果たしてそうなのだろうか――
もしかしたら、振られるかもしれない。
だけど気持ちを伝えたい――そんな風に人を好きになった事があった。
だけど気持ちを伝えたい――そんな風に人を好きになった事があった。
小学校・中学校。
付き合うことが、一体何をすることなのか、何が変わるのかも分かっていない恋。
付き合うことが、一体何をすることなのか、何が変わるのかも分かっていない恋。
恋に恋していただけなのかもしれないけれど、あの頃の方がもっと素直な気持ちで人を好きになれていたような気がする。
中学校までの恋愛で、気持ちを伝えて全て玉砕した過去を持っている私だけれど(初恋だけは想いを伝えていないので不明。まあ振られていたでしょうが)、振られるかもしれないと思っていても、ちゃんと気持ちを伝える勇気を持っていたのだから、昔の自分に何だか関心してしまった。
18歳のとき、私は一人の人に恋をした。
何度か会って話をしていくうちにどんどん惹かれて行って、告白をしようと思い至った。
まだ、付き合ったこともない経験のない私は、振られたらもう会わないという覚悟を決めて思い切って気持ちを伝えた。
緊張して、声は震えるし上手く伝えられたかどうかなんてもう覚えていない。
だけど、あの時の私は真剣だったしダメになることを恐れていたけれど、気持ちを伝えようという前向きな意思の元に行動を起こした。
だけど、あの時の私は真剣だったしダメになることを恐れていたけれど、気持ちを伝えようという前向きな意思の元に行動を起こした。
結果――その思いは実り、その人と付き合う事が出来た。
まあ、色々あって結局は別れたのだけれど、考えてみればその恋以来……誰かと付き合うとか、好きになるのは全て受身だった気がしてならない。
元々、気になると思っていた人から好意を抱かれていたとか。
嫌いではない相手から想いを告げられたとか。
何度か会っているうちに、相手から恋愛対象として見られてアプローチをされたりとか。
嫌いではない相手から想いを告げられたとか。
何度か会っているうちに、相手から恋愛対象として見られてアプローチをされたりとか。
そうして誰かと付き合っていくうちに、本当に相手を好きになれていたからそれは恋愛なのだと思っていたのだけれど。
でも、いずれにしても「この状態だったら、傷つくことはない。受け入れられるに違いない」という安全圏の元に恋愛をしている気がしてならない。
そう考えたら、18歳のときの恋愛以来……本気で自分から人を好きになれた事なんてなかったのかもしれない。
そんな事を思うと、何だか情けない気がしてくる。
だけど、大人になるにつれて、どんどん現実主義になっていくね。
恋愛って結構精神的にも体力的にも消耗するものだと私は思うのだけれど、だからこそ無駄な労力を使いたくないと安全圏で恋愛をしようとしてしまうのかもしれない。
なるべく傷つかない方向で、損得を考えて誰かと一緒になりたいと思ってしまうのか。
恋愛って、難しい。
でも、何も考えないで心底この人が好きだ!手に入れたい!と思うような肉食系にはなれない気がする。
どちらかというと草食系かもしれない。
けどしっくりこないな。
けどしっくりこないな。
最近豊島ミホさんのブログで書かれていた記事で、飢餓系という「食おうにも餌がない」という言葉が自分にはしっくりくる気がするね。
これ、本当にはやらないかな。
絶対世の中の3割くらいは飢餓系だと思うよ、私は。