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正欲

朝井リョウ原作の本作。

映画化が決まり、ガッキーが夏月役を演じると聞いた時からとても期待していたのだが、期待通りだった。

 

原作の、それぞれの人物にスポットをあてて断片的に描かれていくストーリーを踏襲しつつ、例えば夏月が働く田舎によくあるショッピングモールの寝具店は多分イオンモールだろうなあという想像が予想通りであったり、車がないと生活できず、30を過ぎても結婚もせず実家暮らしの独身の肩身の狭さなど、田舎あるあるもさりげなく映像に組み込まれている。

 

本作は、多様性が叫ばれる昨今、その多様性の中にも入ることができない特殊な性癖を持つが故に、「普通」に組み込まれることは決してない、そんな人物達が登場する。

ガッキー演じる夏月と、同級生で同じ秘密を共有する同士である磯村くんが演じる佳道のラストに近いとあるシーンが涙腺を緩ませる。

 

原作にもあるが、SEXの擬似体験をしてみたいという夏月に、普通の人はこんなことをしているのかと笑いあいながら、服をきたままで二人は抱き合う。

もう一人のあの頃には戻れないと感じると共に、体は決して重なることはないのに、心が確かに繋がっているのだと強く伝わってきた。

 

「いなくならないで」

 

そのセリフは、最後のシーンで夏月が佳道に伝えてほしいと言った一言に繋がり、どうしようもなく心が震えた。

 

原作だと、佳道も同じことを言っていた、みたいな描写があったかと思うが、映画では稲垣吾郎の表情から悟らないと分からないので、原作未読の人に伝わるかどうかは分からないけれど。

 

影のある役で可愛さを極力排除したガッキーの抑えた演技は勿論、明日も生きていたいと思う側の人間になれない佳道を演じる磯村くんの演技がかなりしっくりきて、期待していなかったので一番良かったかも。

 

あと、大也を演じている方、存じ上げなかったのだが、演技がなかなか自然で良かった。

 

八重子役は、原作だとぽっちゃり男性不信女子なので、せっかくのレーズンバターサンド?の描写もさらっと流れてしまっていたのが残念だが、自分に自信がないおどおどした感じと挙動不審な感じは八重子感があったかな。

(あんまり好みの顔ではないけれど、新人さんのようですね)

 

稲垣吾郎演じる啓喜の、「普通」を信じて疑わない人間特有の(これが私も含めて世間一般の代表みたいな存在だと思うが)決めつけ、頑なさからくるうざさがいい感じに表現されていたと思う。

本来この啓喜みたいな人が大多数なはずなのに、この映画の世界には「普通」でない人が多すぎて何でこんな固い考えなんだ!もっと広い視野で見てよ!と思わずにはいられないうざさがある意味で新鮮だったかもしれない。

 

原作でもしあの時〜だったらを思わずにはいられなくなる気持ちは、映画でも健在。

 

あいつさえいなければ、特にずっと一人で抱えてきた大也の人生は少しはマシなものになっていたかもしれないのに…と思うと辛い。

 

あと、朝ドラのブギウギにも出演している宇野祥平さんが脇役ながら良い味を出していたので注目してほしい。

(4.5)

 

映画自体はいくつか映画館でも見ているのだが、感想がずっと書けていなかった。

久々に感想を書きたいと思う映画だったので書いてみた。