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坂の途中の家

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最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない。

刑事裁判の補充裁判員になった里沙子は、
子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、
いつしか彼女の境遇にみずからを重ねていくのだった--。

角田光代さんの本です。

角田さんの本は個人的には当たり外れがあるのですが、「八日目の蝉」以来かもしれない、のめりこんでしまった作品です。

WOWOWでドラマ化ということで予約して少し待ちましたが、読めました。

久々に読んだ後、余韻を引きずるほどの衝撃でした。
衝撃というのとは違うかな、後からじわじわくるというか。

読後に感想をかけたらその時の気持ちが表現できたかと思うのですが・・・今更感想を書いているという。

結婚して子供がいて、義理の両親ともそれなりに上手くいっていて、夫婦仲も決して悪くない。
普通に暮らしていればこのまま幸せな生活が続いていたのだろう。

ところが、補充裁判員に選ばれたことによって、日常が少しずつ変化していく。

変化?いや、今まで気づいていないだけで、ずっと続いていたこと。
気づいていなかった悪意。

被告人の境遇を知るうち、いつしか自分を投影していた主人公。

その感覚がすごく怖いと思いました。

何故か、自分が主人公と同じ感覚に陥っていたからです。

私は結婚はしているものの、子供はいません。
なのに、夫の何気ない言葉、義母と接するときに時々感じるちくっとした痛み。
自分も、気づいていないだけなのではないだろうか?

いつの間にかどっぷりとこの物語に漬かっている自分。
現実とフィクションの境界が分からなくなるような感覚。

ぞくっとしました。
解説でも書かれている通り、子供を持っている女性ならなおさら。
この主人公は「自分」なのではないか?
そんな風に思わせる話でした。

被告人が感じた他人からの攻撃は事実だったのか。
被害妄想なのか、それとも実際に行われていたのか。

真実は分かりませんが、実際にそういう風に感じて誰にも辛さを吐露できずに子供を虐待死させてしまう母親は存在するのでしょう・・・
失われた幼い命がただただ悲しく、やりきれません。
(4.5点)