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朝が来る

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「子どもを、返してほしいんです」親子三人で穏やかに暮らす栗原家に、ある朝かかってきた一本の電話。電話口の女が口にした「片倉ひかり」は、だが、確かに息子の産みの母の名だった…。子を産めなかった者、子を手放さなければならなかった者、両者の葛藤と人生を丹念に描いた、感動長篇。


辻村深月さんの本です。

危うく朝ドラの「あさが来た」とタイトルが同じになるところでしたね、と全然関係ない話題から。
辻村さんの作品って、タイトルのセンスが・・・と思うことが結構あるのですが(ファンだからこそ突っ込む)、まさしく「朝が来る」というタイトルしかありえなかったな、と思わされた本作。
 
まさしく俗にいう出産のタイムリミットと言われる35歳が目前に迫っている未婚の自分。
 
大人になったら結婚して、子供を産んで、家族ができて・・・と漠然と思う事ができた10代の頃から、アラサ―になって「あ、私結婚どころか出産も無理かも」と悟ってしまった自分。
 
そして来年には32歳という年齢になる自分。
自分が妊娠し、出産し母親になるという想像がまるでできないのです。
 
諦めた訳でもないけれど、例えば自分には子供を授かる可能性がなかったとしたら。
自分にはあってもパートナーにその力がなかったとしたら。
 
前半の子供を授かることができなかった夫婦の話は、内臓をえぐられるような痛みすら伴います。
 
単純に不妊治療の末、夫婦仲もぎくしゃく、離婚みたいな話であるとか、子供ができなかったなりに夫婦二人でよりそって暮らしていこうみたいな話でもなく、冒頭に子供(養子)の幼稚園でのトラブルとママ友とのすごい面倒くさそうな、日常に溢れているリアルな話を持ってきたところがまたリアリティがあって。
 
そこから過去を辿るように子供を作ろう→自然にできない→原因が発覚→不妊治療→失敗→子供はできないと悟る・諦め→特別養子縁組というものを知る→養子を迎え入れる・・・という展開になるのですが、どうみたってこの主人公は「母親」であり、夫は「父親」にしか見えないんですよね。
不思議なことに、実子ではないと明かされてから読んでも、知らずに読んでいてもその感じ方は変わらなかったんです。それって凄いことだなって思わされます。
 
そして実の母親(生みの母)が目の前に現れ、子供を返してほしいと家を訪ねてくるというミステリアスな展開も興味をそそりました。

後半は若くして(若過ぎる)妊娠・出産を経験した女性の話。
自分は人とは違う、親とは違う、選ばれた人間だと自負していく中で、無知故にあまりにも若く妊娠をしてしまう。
しかも堕胎はもうできない期間に入っていた――
 
出産以外は道はありえないという中で、それでも子供を一緒に相手と育てていけるとか、自分の親が育ててくれるとか、単純にそう思っている所が子供過ぎて読んでいて辛かったです。
 
また、極秘に出産をした事により、(しかもそれが学校の誰にも気づかれていない)決定的に同級生達と線引きがされてしまったことに気付いた主人公とか。
出産前と後でびっくりするくらい考え方に変化が生まれていることにも驚きますし・・・
 
何より妊娠させてしまった男の「自分も悪かったけど、傷付いたんだ」というようなあの態度はもう子供すぎると思うばかりでした。
 
前半の女性の話とは真逆で、出産後からどんどん泥沼にはまる人生(転落人生)を送る羽目になったこちらの話は、本当に何ともやりきれない気持ちでした。
 
それでも辻村さん。
最後にはきちんと光差すラストで締めくくってくれました。
 
何の偶然か分かりませんが、私の親戚にも特別養子縁組なのかな?
養子をもらっている人がいます。
その子が幼い頃から実の母親がいることも告知しているっぽいけどまた別の養子縁組なのかもしれませんが・・・。
 
血は繋がっていなくても驚く程、「家族」なんですよ。
普通の親子にしか見えないんです。
だからより具体的にイメージできたんですよね、この本を読んで。
 
また、友達が長い不妊治療の末に無事に子供を授かり出産に至ったという経験を聞いているので、前半の不妊治療のくだりは読んでいて辛くなるところもありました。
 
子供が欲しくても授かれない夫婦。
望まない妊娠、実の子供への虐待・・・
本当に子供が好きな人、大切に育ててくれる人の所には子供がこなくて、子供に愛情を感じられない、子供を望まない人の所にはすぐに子供ができたりするその皮肉。
運命なんですかね、その境界線ってどこにあるのだろう。
 
色々考えさせられた力作でした。
 
自身の出産・子育て経験があるからこそ、今の辻村さんにしか書けない小説だったと思います。
(5点)