No-music.No-life

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スタート・ライン④-2

(8)
 終わった――最後の音を弾き終えたと同時に、僕は背負っていた何かから解放されたかのような気持ちを味わっていた。
 夢を追い続けて、この十数年間を音楽と共に生きてきた。それを苦しいと思った事なんて、ただの一度もなかったはずなのに、どうして今、僕はそんな気持ちになっているのだろう。
 最後のライブ、という話をしていたせいか、今まで交友のあったバンド仲間や、旧友達が来てくれていた。いつもより少しだけ多い観客を見ながら、自分がやってきたバンドの最後の舞台にはふさわしかった、と感慨深く思う。かたや牧田達のバンドは、あのミュージシャンの憧れの大舞台でのライブを終えたのだというのに。そう思うと、思わず苦笑いが浮かんでしまった。そして……もう何度目か分からない、入り口に目をやった。
 ――やっぱり、来るわけないか。
最後の望みをかけて、僕は一方的に歌ちゃんに今日のライブのチケットを送った。恐らく後輩の牧田の晴れ姿を見るために、今日は東京に来ているだろうと思う。だから敢えて、僕はチケットを送ったのだ。来てくれるかもしれない、一縷の望みを託して。だけど歌ちゃんはとうとう姿を見せなかった。それが、歌ちゃんの、僕への答えなのだろう。

 せーので音を止め、瞬間パラパラと拍手が起こる。決して多くはないけれど、いつもに比べれば沢山の人が最後のライブに集まってくれた事。感謝してもしきれない。ギターを手にし、舞台袖へと歩いていく。これで最後のライブだというのに、意外な程落ち着いている自分がいる事に驚く。
「お疲れさん」
 音楽を通じて僕達と関わってきた沢山の人から、ねぎらいの声をかけられる。その声に返事をしながら、僕はちらちらと入り口に目をやってしまう。この後に及んで、何処まで未練がましいのだろう。そう思うのに、どうしても期待をしてしまう。そんな僕に気付いたのか、メンバーの一人が声を掛けてきた。
「和歌子ちゃん、結局来なかったな。今日、誘ったんだろ?」
 僕は頷き、苦笑する。
「今日は俺らの裏で、牧田達のライブがあったからな」
 そう言って僕はギターをケースに収める。BGMが狭いライブハウスの中を満たしている。煙草の煙と少しの熱気と、がんがんにかけられた冷房の淀んだ空気。だけどこの場所こそが、今の自分――いや、音楽で成功する夢を追いかけ始めたあの頃から今まで――にはふさわしいのだと思う。
 それから機材の片付けなどを続けて行っていた時だった。ふいに――背後に何かの気配を感じて、僕は振り返る。そしてそこには――
「歌ちゃん……」
 髪の毛を乱し、汗をかいているのか額に汗が滲んでいる。綺麗に整えていたはずの顔も、今は化粧が落ちてしまっているのか素顔に近くなっている。だけど、紛れもなく……歌ちゃんの姿がそこにあった。歌ちゃんを前にした僕は笑い、歌ちゃんも小動物のような目を優しげに細めて笑い合う。そのままの状態でほんの数秒経った時だった。
「おい、行くぞ」
 背後からそんな声がかかり、僕は驚いて振り返る。さっき僕を心配してくれたメンバーの一人だった。ドラムスティックを持って、ステージを目線で追っている。
「え? でももう……」
 僕は驚き、困惑した。だってもう、僕達のバンドの演奏は終わってしまったのだ。それなのに――
「最後だろ。最後くらい、オーナーだって融通利かせてくれるって」
 そして、ステージの上でまだ完全に片付けられていなかったドラムセットに近付き、調整を始める。それに続いて、他のメンバーもケースに閉まっていた楽器を取り出し、ステージへと歩き始める。僕は驚き、何度か目を瞬かせた。そして、オーナーの姿を探すと、首をステージへと向けて「行って来い」という合図をよこした。それを確認すると、僕は頷き、さっきケースに収めたギターを取り出した。
「歌ちゃん、これが本当に俺達の最後のライブになるよ。しっかり観てて」
 歌ちゃんは、微笑み力強く頷いた。僕は最後のステージへと足を踏み出す。


 牧田達のバンドにはあって、僕達のバンドにはないもの。
それは、自分達のバンド以外には奏でる事は出来ない音楽を形に出来るという事。誰にも真似できない音を作りだせるという事。
 僕達のバンドは他の、どのバンドとも違うと思ってきた。だけど結局は、世間一般から観たら、牧田達のバンドの二番煎じでしかない。彼らの音楽は誰もが確立できていなかったジャンルを開拓し、そして浸透させた。その後に残された僕達のようなバンドは、結局は彼らの後釜でしかない。そこにオリジナリティはないし、僕達だけが作りえる音楽は完成しない。
 だけど――それでも僕達は、自分達が信じられる音楽を作り、演奏し続けてきた。誰に届くかも分からない、まして少数の人間にしか聴かれる事のない音楽を、ただただ歌い続け演奏し続けてきた。
 そんな日々も、今日で終わる。

「歌ちゃん、今日は来てくれてありがとう」
 ライブを終え、僕達は静かな場所を求めてライブハウスの外へと出る。時刻は十時近くになるけれど、東京の夜はいつまでも明るい。五月の夜は、まだ少しだけ肌寒かった。
「ううん。結局、一曲しか聴けなかったね。もっと早く来られたら良かった」
 歌ちゃんは少し寂しげに微笑む。その姿を見たら、僕達はまるで言葉を失ったかのように黙り込んでしまった。考えてみれば僕達は、もう彼氏彼女の関係ではないのだ。
 走行する車の音、夜の街の喧騒――そのどれもが遠く感じられる。何か言葉を探さなければと思うのに、僕達はお互いに黙ったままでいた。

「歌ちゃん」
 僕は覚悟を決めて、声を掛ける。自分達の夢が叶わなかった時、それでも僕達の関係が続いていたら――その時は別れようと決めたのは歌ちゃん。だけど僕達はもう別れていて、そして今日、僕の夢は叶わないまま終幕を迎えた。
「なあに? 音ちゃん」
 あの頃と同じように、柔らかな声で歌ちゃんは僕を見た。目元には優しげな光が見える。
「もし――あと三年、いや五年後。安定した仕事に就いて、十分ではなくても将来に不安を感じない程度に経済力をもてるようになっていて。その時に、歌ちゃんも僕も、独身で……一生一緒にいたいと思える相手がいなかったら……」
 歌ちゃんが一つ瞬きをして、何も言わずにじっと僕を見つめている。
「僕は歌ちゃんを迎えに行くよ。でも、ごめん。今は、待ってて欲しいって強くは言えないけど。だけどちゃんと歌ちゃんを迎えに行けるようになったら、その時は……」
「五年後なんて、もしかしたら私はもう誰かと結婚して、子供だって生んでるかもしれない。もしかしたら誰かにプロポーズをされちゃうかもしれないし、それを受けちゃうかもしれない。音ちゃんより素敵な人が現れるかもしれない……」
 僕の言葉を遮るように、歌ちゃんは一息に言った。だけど、僕の目をしっかりと捉えて。こらえきれないように、顔から笑みをこぼして。
「だけどもしかしたら――音ちゃんのプロポーズを受けちゃうかもしれない」
 歌ちゃんはそこまで言って、思わずと言った感じで声をたてて笑った。僕もつられて大声で笑った。

 五年後――僕達には、一体どんな未来が待っているのだろう。