No-music.No-life

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残された思い出を。

私は、自分がもう好きではない人からもらったものを平気で捨てることが出来る人間だが、自分が好きだった人からもらったものを、数年経っても捨てられないのは何故なのだろう。

残された思い出の品。

例えば写真、プレゼントなんかがそうだ。

だが、別れてもうすっかり気持ちのなくなった頃合になると、案外あっさりとそれらを捨てる事は出来る。そしてちゃっかりオークションで売り飛ばしたりしているあくどい女である。

しかし、どうしても綺麗な思い出のままの恋の思い出の品に関しては、どうしてもそのままにしておきたいような気分になってしまう。

一緒に撮った写真というものは実は存在しないが、いくつかプレゼントらしきものはもらったことがある。

それを見て、今となっては懐かしいなあという程度にしか思わなくはないのだが、何となく捨てる事が出来ない。




思い出というのは、時として厄介なものでもある。

例えば、あの人と行ったあの場所、みたいな思い出。
別段特別な場所でも何でもないのだが、その地に行く度にどうしても思い出してしまう。

例えば、あの時にかかっていたあの曲、みたいな思い出。
または、その人が薦めてくれた音楽、みたいなもの。

それを聴くたび、今はちょっと胸が痛くなる。


そう考えてみれば、私も相手にとって何か嫌な思い出のようなものを残してしまっているんだろうか・・・とふと思うのだ。

私にとってはもうほとんど思い出すことのないようなもの。
でもそれは、相手にとっては苦い思い出になっているのかもしれない。

私が薦めたあの音楽。

今では聴くことすら嫌だと思われているかもしれない――

誰かの幸せは、誰かの不幸によって成り立っているのかもしれないと、何となくそんな事を思う。

誰かが幸せになれるのは、誰かが不幸を感じているからで。

例えばそれは、誰かが充実した日々を送っている一方で、失恋して嘆き悲しんでいる人も確かに存在しているというような。

全ての事に充実を望むのはとても贅沢なことだけど、だけど全てにおいて充実しているという人だって、確かに存在するのにね。


ほろ苦い思い出がまた一つ増えていくのを感じながら、そんな事をふと思った今日のこと。