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1時間13分の奇跡<2>

「サクラハルコです。佐藤の佐に、倉敷の倉で、下の名前は春の子で春子です」
 目一杯の無理をして、桜子はにっこりと微笑む。先程、太郎が自己紹介をした直後のように、今度は男性メンバーが桜子の笑顔に頬を緩ませている。
「佐倉、さん……?」
 その男性メンバーの中で、唯一首を傾げているのは、紛れもなく太郎だった。何かを察したのだろうか、少し戸惑った表情を浮かべているらしい彼に、桜子は強引に嘘を突き通そうと務めた。
「初めまして。毒田君」
 にっこりと微笑んだ桜子の笑顔は、見る人から見ればとても無理をしているように思えた。しかしその笑顔に翻弄されたのか、戸惑った表情を浮かべていたはずの太郎も、自然と微笑みを返していたのだった。

「佐倉さんは、兄弟はいるの?」
 幹事達の思惑通り、桜子と太郎が良い雰囲気で語り合っている。最初の自己紹介の時こそ周囲からは羨まれているようだったが、今回は他のメンバーもかなりレベルが高いようだ。他のメンバーはそれぞれ気に入りの相手と酒を飲みながら談笑している。
「あ、あたし? あたしはね、一人っ子なの。毒田君は?」
「俺はいるよ、妹が一人。五個下なんだけど、今高校生。俺が行ってた高校と同じ高校に通ってる」
「ああ、海成高校だっけ?」
「え?」
 箸でから揚げをつついていた桜子が、太郎の反応に驚いて顔を上げる。そして、今の発言が失言であった事に気付いて言い訳を瞬時に思い浮かべようと必死になった。
「俺、海成出身だって、佐倉さんに話してないよね?」
 太郎はすかさず質問をし、少しばかり真剣な表情を浮かべて桜子の様子を伺っている。
「いや、あの、だって……今通ってる大学も、有名校でしょう? それに毒田君の地元を考えたら、無難に海星かなって……」
 先に地元の話を聞いていて良かった、と桜子は内心で思いながら、必死に言い訳をする。勿論、大抵の男であれば問題なく通用する極上の笑みを浮かべて。
「……そう」
 しかし太郎は、それきり押し黙ってしまった。桜子はこの瞬間――太郎とはこれ以上進展しないだろうと確信した。それからはお互いが無言で目の前の料理を少しずつ片付けていくという作業に没頭する事になった。仲間との久しぶりの酒の席でもあるというのに、酒がちっとも美味しく感じられなかったのは言うまでもないだろう。

 一次会が終了し、ほとんどのメンバーが二次会に参加する中、唯一桜子と太郎だけが一次会のみで帰る事になった。皆と別れ、帰路に着くという段階になって太郎から問いかけられ、その時始めて桜子は事の重大さに気づいた。太郎は今、地元に帰って来ている。そして桜子の地元も、太郎と同じなのだ。
 一時間十三分の努力は、決して他人に知られてはいけない。その為に、桜子はいつもこうして皆より早く帰宅するというサイクルを取っていた。勿論、地元が何処であるかという話になれば、でたらめに偽って答えては決して家の方角に近寄らせまいと、涙ぐましい努力を重ねてきたのだ。
「あれ? 佐倉さんもこっち方面なの?」
 二次会に参加しないメンバーという事で、何となく太郎と肩を並べて歩く事になってしまった桜子は焦っていた。同じ方向に帰るという事がばれてしまったら、今までの努力が水の泡だ。このままずっと隣を歩いていたいとは思うけれど、何とかして太郎と別れなくてはいけない。さて、どうするべきかと桜子は考える。
「ううん、あたしはあっち。でも、ちょっと寄る所があるから、ここで」
 泣く泣くそんな嘘を吐いて、駅前で太郎と別れる事になった。
「そっか。それじゃあ」
 お互いに手を振りながら、いとも簡単に二人は別れた。太郎の姿が人混みに紛れて見えなくなると、桜子は大きく溜め息をついた。
「携帯のアドレスとか番号とか、聞かれると思ったのに」
 桜子は一人ごちて、太郎とは時間を少しずらして家へ帰るべく時間を潰す事にした。彼女にとって、一時間十三分の努力をした姿で合コンの相手から携帯電話の番号やアドレスを聞かれなかった事は、今回が初めての事だった。

「春野さん、良かったら携帯の番号とアドレス教えてもらえないかな?」
 翌日。バイト先に再び現れたのは――昨日も会った、太郎だった。太郎はにっこりと微笑を浮かべている。こんな風に爽やかに聞かれたら、大抵の女性はあっさりと個人情報の類を教えてしまうのだろう。
「うん。良いけど……って、え? 何で?」
 だって昨日、一切聞こうとしなかったじゃない! ――という言葉を何とか押し留めて、桜子は動揺する。どうして昨日のあの完璧な姿になった時には聞いてこなかったのに、この素の自分でいる時に限って、聞いてくるのだろう。桜子は混乱していた。
「うーん。何ていうか、春野さんとは小学校と中学校と同じだったのに、ちゃんと話した事がなかったからさ。仲良くなりたいと思って。俺、こっちに帰ってきたはいいけど、皆地元に戻ってきてない連中ばっかりで、暇なんだよね。本音を言えば、遊びに行く相手が欲しいって所かな」
 それって、誰でも良いって事なんじゃ……という言葉も呑み込んで、桜子は口頭で自分の携帯番号とアドレスを太郎に伝えた。太郎はそれを自身の携帯電話に打ち込むと、「それじゃあ後で連絡する」と言って、去って行ってしまった。
「……どういう、事?」
 無意識のうちに、桜子はそんな言葉を吐いていた。

 それから、一日に何通かのペースで、太郎とのメールのやりとりが始まった。始まりは不思議なきっかけではあったが、桜子にとっては初恋の相手である。嬉しくない訳がない。そんな幸せな毎日を過ごしていた――ある日の事だった。
「あ、太郎く……」
 偶然、駅の構内で太郎の姿を見かけた桜子は、声をかけようと片手を上げて呼びかけようとし――その場で固まった。
 柔らかな表情で微笑んでいるのは、紛れもなく太郎だった。そして目を細め、まるで愛おしむように見つめているのは――すぐ隣で肩を並べる女の子だった。
 栗色のストレートヘアー。ピンと伸びた背筋に、長身。すらりと長い手足。そして、驚く程大きな瞳と白い肌。ノースリーブのワンピースを、とても綺麗に着こなしている。これこそまさに、美男美女カップルという図式ではないだろうか。その圧倒的とも言える桜子自身の立場との違いに、彼女はただ呆然と立ち尽くしてその姿を目で追う事しか出来ずにいた。
「あ、春野さん!」
 じっと見つめていたせいだろう、太郎が桜子の視線に気づき、桜子に向かって手を上げた。はっと我に返った桜子は、慌ててその場を立ち去ろうと踵を返す。太郎はその様子に驚き、隣にいた女の子を追きざりにして慌てて桜子を追いかける。
「ちょっと! 春野さん! 何で逃げるの!」
 声を荒げながら、全力疾走をする太郎。
「来ないで! 毒田君にはあんなに可愛い彼女がいるんでしょ! あたしに構わないで!」
 桜子が大声で反論しながら、それでも走っている足を止める事はしない。しかし、太郎は勉強も出来れば運動も出来る男だった。いとも簡単に桜子に追いつくと、右腕を取って引き止めた。急に後ろに強い勢いで引かれた桜子が、つんのめるようにして太郎の胸に飛び込むような格好になってしまった。こんな時だと言うのに、神様ありがとう――と、桜子は密かに思った。
「放して! 彼女にこんな所見られたら誤解されちゃうでしょ!」
 自分の初恋の相手の、大きな手で掴まれている腕から、嬉しいというオーラを放出しているのではないか? と桜子は思いながら、内心の思いとは裏腹に言葉を荒げる。
「違う違う! 春野さん、誤解してる! あれは、妹だよ。妹!」
「い……妹なんて、嘘! そんな事……いや、でも、毒田君の妹だったら……あんなに可愛いのも、納得かも……って、違う! そんな嘘信じないから!」
 太郎はゆっくりと桜子から手を離し、ふっと息をついた。
「嘘ついたのは、そっちだろ?」
「え?」
 改めて太郎の顔を見た。整った目鼻立ち、サラサラの色素の薄い髪。そして、真剣な眼差し。綺麗な――男の子だと、桜子は思った。
「佐倉、春子は春野だろう? 何で嘘ついたの?」
 ――バレていた。頭も良くて顔も良くて、運動も出来て、男の子にも女の子にも人気者だった憧れの彼。彼は、知っていたのだ。あたしが、嘘をついていた事を――桜子は、泣き出しそうな表情を浮かべた。
「どうして? どうしてあんなに別人みたいなあたしを、あたしだって気づいてくれたの? こんな、地味なあたしとは全然違っていたはずなのに」
 桜子は涙声で問いかける。真剣な表情を浮かべていた太郎は、ふっと頬を緩ませて言った。
「春の、桜。話した事はなかったけど、綺麗な名前だなって思ってた。新しいクラス発表で名前が張り出された時とかさ、俺は太郎なんて古風な名前だから、綺麗な名前をした人につい目が言っちゃうんだよ。話す機会がなくて、でもずっと話してみたいって思ってたんだ。だから、再会した時は驚いたし、単純に嬉しかった。それに――」
 桜子は瞬きをした。
「さっきの、妹。実はアイツも中学までは今と全く違う外見だったんだよ。良かったら今度写真見せるけどさ、信じてくれないっていうなら。だから、合コンの席で春野さんを見た時、すぐに気付いたんだ。だけど、隠したがってるようだったから、敢えて初対面の振りをしてた」
「……そ、そんな……。あたし、あの姿になるまでに一時間十三分もかけてるのに……どうして一番素顔を見られたくない人に、気付かれちゃうかなあ」
 途方に暮れたような桜子の頭に、ふわりと大きくて優しい手が載せられる。ポンポンポンと、軽く三回頭を叩いた太郎が言った。
「俺は、素顔の春野さんも悪くないと思うけど」
 太郎のその一言で――桜子の目は、嬉し涙で一杯になっていた。

「桜ちゃーん! 太郎君が迎えに来てくれたわよー」
 おっとりした桜子の母が、嬉しそうに桜子の部屋に向かって呼びかける。その声で飛び起きたのは――寝起きの桜子。
 自慢の髪の毛も最早見る影もない程に寝癖まみれになっている。元々大きくない目も、寝起きのせいか余計に小さく見えた。
 桜子はベッドのすぐ横に置いてある目覚まし時計を見て、絶叫した。
「キャー! お母さん、何で起こしてくれないの!」
 ドタドタと勢いこんで階段を駆け下り、玄関先で待っている太郎に桜子は言った。
「太郎君。あと一時間十三分だけ、待ってて」


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初めての3人称ですが、いかがでしたでしょうか。。
描き方が分かってないので、変な部分があったと思います・・。ご指摘下さいませ。