「どうしたの?それ」
彼が柔らかい笑顔を見せる。
伸びるのが遅い私の髪は、どう頑張ってもまだボブ程度にしかならない。
元々少しばかり癖のある髪は、サラサラというには程遠い。
綺麗な栗色の髪色なんて、夢のまた夢。
身長は、158センチ。
どんなに背伸びをしても、彼女の長身には到底届かない。
色黒でもないけれど、決して儚げに見えるほどに色白ではない私の肌。
白く透明感のある頬にほんのり桃色に染まった綺麗な顔立ちには到底及ばない。
私は、彼女に近づきたい。
けれど、近づくことが出来ない。
高いヒールのブーツを履いて、少しでも身長を大きく見せようとした私だったのだけれど、それでも目の前の彼(平均的な男の子より少々小さいはずなのに)との身長差は大して縮まらず、私は悲しくなる。
「それに、ほっぺたが異常にピンク色に染まっているようだけど」
そう言った彼は、こらえきれなくなったように声に出して笑う。
私は彼女になりたくて、ピンク色のチークを頬につけて『儚い彼女』になろうとしたのだ。
「そんなこと・・!」
ないでしょう?と言いかけて、窓ガラスに映る自分の姿に私は言葉をつぐむ。
そこに映るのは、どう見ても「私」であって、「彼女」ではなかったからだ。
彼と出会ったのは、大学に入学して間もない頃のことだ。
たまたま居合わせたクラスコンパに、所在なさげに座っていた私は、人の群れから少し離れた所に座っていた彼を見つけた。
黒縁の眼鏡をかけ、さらりとした黒髪は綺麗に整えられ、ジャケットに細身のパンツ、という出で立ちをしたその彼は、遠めからみるとなかなかにお洒落だった。
彼は周囲の人間と一言二言言葉を交わすものの、やはり周囲とは一歩下がっているかのように、時に相槌を打ち笑いながらも時折お酒を飲んでいるだけだった。
私はそんな彼が気になった。
話かけようか、話しかけてみようか・・そう思った時、突然周囲がざわつく。
「遅くなってごめんなさい。今からでも参加して大丈夫?」
やってきたのは、大学入学時に一気にその名を学校中に知られるようになるほどの美貌の持ち主である、毒田花子であった。
彼女がこういう飲み会に参加すること自体が珍しく(大抵の場合、何かに誘っても断られてしまうのだと、周囲の人間がぼやいていた)、更に驚いたことに先程の彼の隣にさりげなく座り、談笑を始めたことに周囲の人間は驚きを隠せないようだった。
私は浮きかけた腰を元に戻し、特に強くもないのに目の前のカクテルをハイスピードでのみ進めていった。
しっかりと、彼らの様子を目に焼き付けながら。
毒田花子は、彼と親しげに話し、時に可愛らしく笑う。
それに答えるかのように、その彼も笑顔で言葉を交わしているようだった。
話の内容は聞き取れない(何しろ、対角線上にいたのだ)。けれど、確かにあの二人には、何か特別なものがあるに違いない雰囲気を醸し出していた。
それから私は、彼を、また毒田花子を構内で見かけては観察した。
毒田花子は、その背筋をピンと伸ばし、長い綺麗な栗色の髪を揺らしながら歩いている。
その横にいる例の彼も、何処か自信を滲ませながら歩いているのが分かる。
「あの二人は付き合っているのではないか?」
当時その話題で持ちきりで、彼らがとても対照的な名前であったこともあって、大学内でかなり目立つ存在だった。
「ブスとビジン」
そう、彼の名前は美人。フルネームを福原美人というのだという。
私はますます、彼のことが気になり始めた。
そんなある日のことだ。
それは、もう本当に信じられない出来事だったのだけれど、私は彼から告白されたのだ。
「一目見た時に、ああ、この子だって思ったんだ」
聞けば、直感で、まさに本能で私を見てビビっときたのだという。
まあ、私がこれでもかというほどに彼を見つめていたことも要因の一つだとは思うのだけれど、それでもこんな奇跡が起こったりもする。
彼と付き合い始めて、時折眼鏡を外した姿を見る機会もあったのだけれど、そのたびに彼はとても悲しそうに笑って言うのだ。
「俺は眼鏡とかかけたり、服装に気を遣ったりして何とかそれらしく見せてるだけで、本当は名前とは正反対な容姿をしてるんだ。だから本当は自分が女の子と付き合えているという事が時々信じられなくなるよ」
確かに、彼は美男子ではないかもしれない。
けれど・・そこまで卑下する必要なんてないのになって思う。
私が彼女、毒田花子には近づくことが出来ないように、彼は彼なのだから。
それよりも私は、彼が相変わらず彼女と親しげに言葉を交わす姿を見るたびに、もやもやしてしまう。
私は、多分きっと人よりやきもち焼きで、嫉妬深い。
だからこそ、少しでも彼女のようになりたくて、彼女の真似事をしてみたりする。
それでも、やっぱり私は私でしかなくて、彼女にはなれないのだ。
前に一度だけ、彼に尋ねたことがある。
「福原君にとって、毒田さんってどんな存在?」
そうして、彼は答えたのだ。
「・・俺を、もう一度変えてくれるきっかけをくれたかけがえのない存在かな。」
私は、その時少しばかり膨れ面をしてしまったのだろう(こういうところがまだまだ彼女に及ばないのだ)。
私の頭をくしゃっと撫でながら、彼は言ったのだ。
「多分、俺は毒田を好きにはならないよ。恋愛感情じゃなくてさ、俺は彼女を心底尊敬しているし、信頼しているから。それに・・俺にとっては、やっぱりこの子だって思った子は一人しかいないからな」
私は彼を見上げる。
その時に見た、彼の黒縁眼鏡の下に見える瞳は、一瞬の迷いもなく私を力強く見つめていた。
それでも私は、人より嫉妬深くて、やきもち焼きで、おまけに素直じゃないから・・少しでも彼女に近づけるように、なかなか伸びない髪を密かに伸ばしてみたりするんだ。