No-music.No-life

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二人の想い

「私、彼と別れちゃったんだ」
 瞬間、隣を歩いていた彼女は足を止め、微かに驚いた表情を見せる。しかしすぐに元の表情に戻り、「……そうだったんですか」とポツリと言った。
それは多分、注意深く見ていなければ気付かないような、そんな些細な変化だ。
けれども私は、その表情を見て確信する。
――ああ、この子は……やっぱりまだ、彼の事が好きなのだと。


 私は昔から、友達や知人の好きな人を、すぐに見抜く事が出来た。何となく一緒にいる友達が、ふとした時に見つめている相手にすぐに気付くのだ。または、一見他の皆と変わらないようにその相手と話している友達の、ほんの僅かな表情の変化にも敏感だ。
 そういう小さな事が、私にとってはヒントになる。
この友達は、この人が好きなのか。へえ、あの子があの人を……そうやって友達と同じように、友達が好きな相手を見るような視線で追っているうちに、いつしか私までその相手を好きになってしまう。
 私は思い立ったらすぐ行動する人間だと思う。例えその相手が友達の好きな人だったとしても、好きだと気付いた瞬間に行動を起こさなければ気が済まない。そしてこれもまたある意味凄い事だと思うのだけれど、私は今まで告白した相手から拒まれた事は一度もない。
 私は、いわゆる『周囲に冷たい印象を与える美人』という部類に入っているらしかった。当然、同性からは嫉まれる。けれど逆に、異性からは好かれていた。学生の頃、女子から反感をかった私は、クラスから孤立した。けれども女子特有のグループなんていうものが嫌いだった私は、逆に清々したと思っていた。
 何故なら私は、一人でいることが全然苦ではないからだ。大学を卒業し、社会人になってもう三年になるけれど、会社というものは学校に比べたらとても楽だと思う。嫌いな人間とも、仕事上では話さなければならないからだ。だから、例え私が同僚の女の子から嫌われていたとしても、決して口を利いてもらえないわけではないし、ランチだって一人でも平気で行ける性質なので全くもって困らないのだ。昔に比べて今は、そこそこ気の合う友達だって出来たから、孤立無援という訳ではないのだけれど。

「あなた、いつもライブに来てるよね? 私は、笹倉美緒っていうの。あなたは?」
 思い立ったらすぐに行動する私が、その女の子――毒田花子に話しかけたのも、だから決して突拍子もない行動ではない。

大学時代、自分がキーボードを担当していたバンドが、今では注目のバンドとして名を知られ始めていた。私がそのバンドに在籍していたのは、四年生のほんの数ヶ月の事で、辞めた理由はとてもくだらない。恋愛絡みだったのだ。
私が付き合っていたのは同じバンドでギターを弾いていた、当時一年生だった城山で、これから社会人になる私と大学生になったばかりの年下の彼との関係は、意外な程あっさりと終わった。私が、他の男の子を好きになってしまい――それは結果的に自分が浮気をしたという形になってしまったのだけど――それはもう、バンドの解散危機に陥る位に酷い別れ方をした。これについては、私に百パーセント非がある事は認めている。
バンド解散の危機を招いたのは、私だ。責任は自分が取らなくてはならない。音楽は好きだしバンド活動は楽しかったが、私はもう四年生だからと何だかんだと理由を取り繕って自らバンドを辞める事を申し出た。
その後、メンバーチェンジを繰り返しつつ、それでも今も変わらずあのバンドが活動を続けているという事は嬉しかった。私は城山に嫌な顔をされながらも、足繁く彼らのライブに通っていたのだ。
だから当然、自分とは正反対の美人――つまり、周囲に明るい印象を与える美人ということだ――の姿を毎回見かける度に、気にならない訳がなかった。
彼女はいつだって、背筋をピンと伸ばしたとても姿勢のいい立ち姿で、リズムに乗るでもなく、腕を振り上げるでもなく、その大きな瞳で、ただじっとステージを見つめているのだった。そして、ライブが終わったと同時に、すぐに会場を後にしてしまう。今でこそ、そこそこ名の知れたバンドになってはきているが、しかしまだ小さなライブハウスで活動しているバンドだ。ライブ終了後には、メンバーが気さくに会場内にいるファンと話している姿も見ることが出来る位なのだ。
しかし彼女は、そういう類の一切に興味がないのかもしれない。微動だにせず、ただじっと彼らの演奏を見て、終わったらすぐにその場を後にする。潔い程のその姿勢が、気にならない訳がなかった。

「毒田……花子です」
 急に話しかけてきた見知らぬ年上の女に、彼女は一瞬驚いた表情を見せたけれど、私の顔を見た瞬間、すんなりと自分の名前を名乗る。
 目の前に立ってよく見れば、成る程、この子もかなりの美人の類に入るだろう。大きな瞳、色白の肌、栗色のストレートヘアー、透き通るような響きを持った声、そして、私も割と身長が高い方なのだが、目の前に立ってみても自分と大して身長が変わらない事から、この子も長身なのだという事に改めて気付かされる。
「ねえ、良かったらお茶でもいかない?」
 見知らぬ他人である私の突然の誘いに、彼女は微笑み快く頷く。私はこういう類の誘いにも、断られた事はほとんどない。やっぱり、美人は得なのだ。

「へえ、花子ちゃんは三年生なんだ。じゃあ、これから就活?」
「そうなんです。分からない事ばかりで、何だか不安です。美緒さんは、もう社会人になって三年目なんですね。色々、相談にのってもらってもいいですか? 社会人の先輩として」
 彼女は言い、にこりと笑った。見た目通り、中身もとてもしっかりしているようだ。私は好感を覚えた。
「いつも、ライブは一人で来てるの? 良かったら今度は一緒に行かない?」
 私がそう言うと、彼女は一瞬面食らったような表情を見せたが、ややあって「はい」と力強く頷いて笑った。
「嬉しいです。元々、友達に連れられて観に行ったのが初めてだったんですけど、最近その子が忙しくて、一緒にライブに行けなくなっちゃって……。一人だと心細くて仕方なかったんです。私、今まで全然ライブに行った事なんてなかったから」
「へえ。じゃあ、元々はああいう音楽も自分から聴くような感じではなかったの?」
「そうです。本当は、私……音楽を聴くよりは読書の方が好きなんです」
「ふうん……そうなんだ。じゃあ、あのバンドだけは特別なんだね」
 話の流れで言ったこの言葉に、意外な程彼女は反応した。一瞬だけはっとしたような表情をして、そしてすぐに頬を緩ませて微笑み、こくりと頷いたのだ。
 私はその時、何か引っかかるものを感じたのを覚えている。

 それから、私達は二人で出かけたり、私の仕事帰りにご飯を食べに行ったり、勿論ライブにも一緒に行ったりした。
 私達はとても気が合った。年齢こそ違うけれども、お互い姉妹がいないというせいもあり、まるで本物の姉妹のように仲が良かったと思う。
二人で並んで歩いていると、色々な人によく声を掛けられた。ナンパは勿論だけれど、買い物に行けば「ご姉妹ですか?」なんて言われた事もある。
長身で、お互いがとびきりの美人なのだ。それは当然の事だろう。私達は、一人でいたってどうしても目立つ。それが、二人並んだ途端に更に目立ってしまうのだ。
だからいつもの通り、ライブ終了後に先に帰るという彼女を見送った後、突然声を掛けられた事にも、別に驚きはしなかった。
「美緒さん」
 彼女を見送り、再びライブハウスに戻る。ライブが終了した事によって、外に出る人の波に逆らうようにしなければならず、戻るまでには一苦労だ。ようやく戻り、ほっとしていた所でふいに声を掛けられて顔を上げた。
「ああ、円谷君。ライブお疲れ様」
 相手は、私が在籍していた当時からベースをやっていた円谷君だった。私は現メンバーとは全員顔見知りではあったのだけれど、多分城山との一件のせいか、それとも年上の先輩への遠慮からなのか、向こうから話しかけられた事はほとんどなかったはずだ。不思議に思いながらにっこりと笑う。
「いつも、ライブに来てくれてありがとうございます」
 彼は下げていた頭を上げ、とてもさりげない調子で私に尋ねてきた。
「……でも美緒さん、毒田と知り合いだったんですね」
「え?」
 ――驚いた。彼は、彼女の事を知っていたのだ。
「ここ最近、毒田と一緒にライブに来てくれてましたよね? 美緒さん美人だから、やっぱり凄く目立ちますし……隣を見たら毒田がいたから凄く驚きました」
「え、ちょっと待って? もしかして、円谷君、花ちゃんの事知ってたの?」
 混乱する頭の中、私は目の前にいる彼に問う。彼は逆に驚いた表情をして私に言った。
「あれ? 聞いてないですか? 知ってるも何も……毒田と俺、中学時代の同級生だったんですよ」
 私は数秒の間、口をポカンと開けたままその場に立ち尽くしていたと思う。そのうち、彼は他のメンバーに呼ばれてそちらに行ってしまっても、私は混乱して呼び止めて事情を聞く事だって出来なかった。
――どうして彼女は、そんな重要な事を言ってくれなかったんだろう?

 しかし私は、それを彼女に問う事はしなかった。彼女がそれを話さなかった事、知り合いだというのに彼と話す事もなく、ライブが終わったらすぐに帰ってしまう事……もしかしたら、そこに何かがあるのかもしれない。あの時引っかかりを覚えた事が、この事に繋がっているのかもしれない――そう思うと、このままもう少し様子を見ようと思ったのだ。

 それから季節が変わり、四年生になった彼女から、内定が決まったという旨の知らせをもらった。早速仕事帰りにお祝いでもしようという事になり、今は美味しいイタリアンを食べている所だ。
「内定おめでとう」
「ありがとうございます」
 にっこりと微笑む彼女は、一見すれば普段と変わらないようだったと思う。けれども私は、小さな変化にはすぐに気付く。
「……花ちゃん? 何か、あったでしょう?」
 パスタをフォークでくるくると巻きつけていた彼女は、手の動きを止め、驚いた表情でこちらを見た。
「え?」
 一瞬、この子は泣くのではないだろうか? と私は思った。彼女のその表情には、何か痛々しさを感じてしまうようなものがあったのだ。けれども、彼女は次の瞬間、ふいに顔をほころばせて笑った。予想外の表情の変化に戸惑っている私をよそに、彼女は言ったのだ。
「……ありましたよ。私、初めて彼氏が出来たんです」
 それだけ言うと、彼女は再び手を動かしてパスタを口に運んだ。少し俯き加減だったので、その表情からは何かを読み取る事は出来ない。
「え? だって花ちゃんは――」
 私が言おうとした言葉を全く別のものと解釈したらしい彼女は、顔をあげて微笑んだ。
「私、今まで付き合った人がいなかったんです。何ていうか、タイミングを逃しちゃったのかな。何となく気付いたらこんな歳になってて」
 確かに、それも意外な事の一つではあった。私が彼女の年齢の時には、片手で足りない位には恋愛経験があったからだ。しかしそうではなくて――
「花ちゃんの……その、彼氏は、私も知っている人?」
 その質問に、きょとんとした顔をして彼女は首を傾げる。
「いいえ? 同じ大学の人です」
 という事は、どう考えても彼ではないのだ。でも何で……私は混乱する。
「でも花ちゃん……内定が決まって、彼氏が出来たっていう割には、何だかとても悲しそうな顔をしてるよ?」
 言ってしまってから、ああ言わなければ良かったと後悔した。何かきっかけを与えてしまったら、多分無理に笑っているだろう彼女の顔がまたさっきのように泣き出しそうな顔に戻ってしまう気がしたのだ。
 けれども彼女は、泣かなかった。それが、彼女の精一杯の強がりだったのかもしれない。

2へ続く・・