No-music.No-life

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二人の想い(2)

「CD出したんだって? 順調じゃん」
 いつものように彼らのライブが終了すると、すぐに彼女は帰ってしまう。一人になった私は、手際よく楽器の片づけをしていた城山の姿を見かけて話しかけた。
 城山は私の顔を見ると露骨に顔をしかめたが、幸い無視はされなかった。
幾つか言葉を交わした後、思い出したように城山が言う。
「……今日、さ。あいつ、演奏ボロボロだっただろ?」
 そうして目線で示したのは、他でもない円谷君であった。
「ああ……やっぱり、気のせいじゃなかったんだ」
 中学時代から楽器をやっていた城山や他のメンバーに対して、彼だけが初心者だった。私は元々ピアノを習っていたから、そこそこ弾けはしたのだけれど、技術の面では一番に彼が劣っていたといってもいい。それでも今、インディーズレーベルからCDを出すことが出来るまでになったのだから、相当な努力をしたのだろう。けれども今日の演奏の出来は、私から見ても決して良いとは言えないものだった。
「何か、あったの? 円谷君」
 お互いに彼を遠目に見ながら、小声で聞いた。
「ああ、例の彼女と、何かあったみたいだな。詳しくは言わないけど、良かったら話聞いてやってよ」
 切れ長の目を細め、城山は言った。

「円谷君」
 ベースをケースに仕舞い終え、肩に担ぎ上げた彼が驚いてこちらに振り返る。
「ちょっと、いいかな?」
 私の提案に、彼は何も言わずに頷き、私達は会場の外へと出た。

「今日、演奏ぐだぐだでしたね、俺」
 自嘲気味にそう言って、彼は笑った。
「……演奏がぐだぐだになる位、何か酷い事でもあった?」
 私は笑わずに真剣な眼差しのまま、彼を見据える。はっとした表情を浮かべた彼は、観念したように息を吐き出す。
「この前……自分から告白する前に、ずっと好きだった人に振られました」
 一息にそれだけ言うと、彼はうなだれたようにその場に座り込んでしまった。
「情けないですよね、俺。振られるのが怖くて何も言えなくて、挙句にその人にはついに彼氏が出来たっていうオチですよ。その人と釣り合える男になりたくて、だからこうして頑張ってきて、やっとバンドも軌道に乗ってきた所だったのに――」
 そこまで聞いて、ようやくピンと来た。――なんだ、そういう事だったのか。
いつもだったら話しかけたりしない相手に突然声をかけたのも、彼女との関係を聞いてきた事も、ああ、そういう事だったんだ。
「ねえ、その好きだった相手って……」
 私はその場に同じようにしゃがみこみ、円谷君の顔を覗き込むように言った。
「花ちゃんの事だったんだね?」
 情けない程にうなだれた彼は、驚いた表情で私を見た。そして、参ったという風に少しだけ顔を赤くして笑った。それこそが、答えだったのだろう。
 その表情が何だかとても愛おしく、私はそこでもう一つ、初めて気付いた事があった。
「円谷君。失恋から立ち直る為には、何が一番効果的か知ってる?」
 彼は「え?」と言って、何度か目をしばたかせた。
「それはね、新しい恋をする事。ねえ、円谷君。私と付き合ってみない?」

 私は、自分でも気付かぬうちに、いつの間にか彼の事が好きになっていたのだ。だって私は、友達の好きな人を好きになってしまう女なのだ。
 そうか、だから彼女は――
一度だけ、出会ってまだ何度目かに会った時、私はそのことを彼女に話していた。それに、好きな人はいないの? と聞いても、いつも笑っていないと言われた。彼と同級生だという事を、私には言わなかった。いつだってそっと、ステージの上の彼を見つめていた。
 もし、私に彼を好きだと打ち明けていたら、もっと早く、私は彼を好きになっていただろう。それに、彼と知り合いなのだと伝えなければまさか好きなバンドのメンバーに恋をしているなどと思われないと考えていたのかもしれない、それほどまでに彼女は、私に自分の好きな人を悟られたくなかったのだ――


 地下鉄の階段を駆け上がり、息を切らして地上へと飛び出す。開演時間三十分前とは言え、既に開場しているせいか、待ち合わせの数は思っていたより少ない。きょろきょろと目を動かして目当ての人物を探していると、すぐに柵にもたれて、文庫本に目を落としている彼女の姿は見つかった。
「花ちゃん! 遅れてごめんね!」
 彼女がゆっくりと顔をあげて私の姿を認める。そして、顔をほころばせて笑った。
最後に会ったのはもう五年前位になるだろうか。自分の記憶の中の顔よりも、少しだけ大人びた顔になっていた彼女は、しかし相変わらず綺麗だった。その変わらない笑顔に、私もほっとして微笑んだ。
 
仕事帰りにライブに行くというのは、いささか無謀だったかもしれない。急遽残業をする羽目に陥った私は、彼女との待ち合わせ場所に三十分程遅刻してしまった。それでも、今日のライブには絶対に行きたかった。音楽を志すものならば、一度は憧れるあの舞台で、とうとう彼らがライブをやる日が来たのだから。
開演は三十分後。地下鉄の出口から少しばかり歩かなければ中に入ることが出来ないこんな大きな会場に、彼らの音楽に魅了された人間達が集う。考えただけでも凄い事だ。
「今日は、本当に誘ってくれてありがとうございました」
 歩きながら、彼女が笑う。栗色の長い髪が、ふわりと風に揺れる。甘い香りがこちらにまで漂ってきて、私は目を細めた。
「チケットがね、物凄くいい番号だったから。今回のチケット、かなり入手困難だったみたいだし」
「そうなんです。電話したら、全然繋がらなくて。繋がったと思ったらもう完売で……美緒さんに誘われなかったら、今日のライブに行けませんでした。本当にありがとうございます」
「ううん。……チケットはまあ、いい番号を譲ってもらえたからね」
 私が言うと、彼女は少しだけ目を細めてポツリと言った。とてもさりげなく。
「そっか……。やっぱり自分の彼女にはいい席で観てもらいたいですもんね」
「ううん、花ちゃん違うの。私、彼と別れちゃったんだ」
 私は一息に言ってしまう。
「え?」
 彼女は、その場に立ち止まり何度も瞬きした。
「だからね、別れる時に言ったんだ。チケットだけはこっちに回してよって。そういう所、私はぬかりないから」
 私は微笑み、時間が迫っているからと立ち止まってしまった彼女を急かす。彼女は小走りで私の隣に戻ってきて、歩きながら会話を続けた。
「そうだったんですか……。やっぱり、バンドが忙しくなったから、ですか?」
「うーん。そうなのかな。確かにこれから忙しくなって、あまり会えなくなるだろうから、とか言ってはいたけど、体よくあしらわれただけのような気もする」
「そうなんですか……」
 彼女は目を伏せる。そうして、ポツリと言ったのだ。
「まさか、久々に会ったのに……美緒さんも彼氏と別れちゃったなんて」
「え? まさか、花ちゃんも別れちゃったの? 例の彼と」
 コクリと小さく頷く。会わなくなっても、メールのやりとりだけは続けていたから、あの時に付き合い始めた彼とずっと続いているのは知っていた。けれどもまさか、別れてしまったとは――
 何となく気まずくて、会場へと歩きながらも私達は押し黙ってしまった。本当はお互いに聞きたい事は沢山あったはずだ。けれども話を切り出すことが出来ないまま、チケットを切ってもらい会場の中へと足を踏み入れた。

 大きなステージ、そして会場を埋め尽くす沢山の人。
私達はほうっと溜め息をついた。小さなライブハウスで演奏していたあの頃に比べたら、天と地の差だ。私にとっては、自分が少しの間でも在籍していた事のあるバンドが、彼女にとっては、中学時代の同級生のバンドが――まさか、こんなに大きな場所でライブをやるような存在になるなどとは、夢にも思っていなかっただろう。
「本当に、凄いいい席だね。……目の前だよ」
 チケットが指定するその場所は、彼の立ち位置である側の、一階席の本当に一番前だった。
「はい」 
 彼女は大きく頷く。その表情からは、何も読み取る事が出来ない。
 私達は席に着き、ざわつく会場内で何も話さずにただステージを見つめていた。
 数十分後、会場内が暗転する。ざわついていた会場内にしんとした空気が張り詰める。
 そして、眩しい程の光がステージに灯る。沢山の人々の歓声と、拍手が沸き起こる。私達は立ち上がり、じっとステージを見つめた。
 私はちらりと彼女を見る。
じっと大きな瞳で会場を見つめているその視線には、紛れもなくあの頃と変わらない想いが込められていたように思う。

 もし私が彼に、彼女が別れた事を話したら――そうしたら、何かが変わるのだろうか。お互いがお互いの気持ちに気付かぬまま、すれ違い続けてきた彼らの想いは、いつか通じ合う日が来るのだろうか。

 ステージに、メンバーが登場する。そして、この広い会場に、力強い楽器の音が鳴り響いた。