都内の中学に通う遠野貴樹(たかき)の元に、転校してしまった初恋の相手である篠原明里(あかり)からの手紙が届く。一九九五年の冬の終わり。明里との再会を果たすため、貴樹は次第に強くなる雪の中を明里の待つ岩舟駅へと向かう―。十三歳のふたりの上に永遠と瞬間が交差し、ふりそそぐ(『桜花抄』)。
一九九九年、高校三年の何もかもうまくいかない夏。種子島に暮らす澄田花苗(かなえ)は、東京から転校してきた貴樹に宿命的な片想いをしている。サーフィンで波に立てた日に貴樹に告白すること。密やかな決意を胸に、花苗は必死に波に向かう(『コスモナウト』)。
仕事を終えた深夜の帰宅路、貴樹は灯りの消えた高層ビルを見上げ思う。そんなに簡単に救いが降ってくるわけはないんだ、と―。東京での大学生活、就職してからの水野理紗(りさ)との出会い、いくつかの喪失とささやかな再生。そしてまた、東京に桜の咲く季節が訪れる(『秒速5センチメートル』)。
最近非常にバタバタしているので、未だ2話と3話を見られていない訳ですが、先に小説で読んでしまいました。
映画とは若干設定を変えている部分もある、との事なので・・・小説との違いを見つけて楽しむのも一興かと。
そして、映画でははしょられていた細かい設定や話を小説で読む事が出来たので、改めて理解出来た部分もあって、とても味わい深い作品だと思いました。
まず、タイトルがとても良いですよね。
桜の花びらが落ちるスピード、なのだそう。
ちなみに雨は秒速5メートル、雲は秒速1センチなんだそうですよ。
ちなみに雨は秒速5メートル、雲は秒速1センチなんだそうですよ。
一生のうちに、一体どれだけの異性を好きになるのだろう――と言う事を、ふと考える。
出会いというのは、それが恋愛感情に発展する出会いというのなら、意外なほど少ないと思う。
もし自分が相手を好きになったとしても、叶わないという数を入れるなら尚更だ。
もし自分が相手を好きになったとしても、叶わないという数を入れるなら尚更だ。
当たり前に誰かと付き合える事、それはお互いの気持ちが通じ合って初めて可能になる(まあそうでなくても付き合っている人はいるかもしれなが)事なのだと考えたら・・・それは本当に奇跡のような確立なのではないだろうか、と思う。
明里と貴樹のこの特別な関係は、しかし物語らしく二人が大きくなって再会して結ばれる、なんていう単純な話では終わらない。
本当に心の底から好きになれる人と出会えるか、出会えないか。
私は多分、今のところこれ以上好きになった人はいないと思える人がいるけれど、時が経って大人になって、どれだけの月日が経っても、実際に付き合っている人とは別にそういう存在ができるかできないか、いるかいないか、っていうのはとても大きな事であるように思う。
私はその人と結ばれる事はなかったけれど、そういう風に思える人に出会えただけでも奇跡だったのではないか――と、この本を読んでそんな事を思った。
映画の方も、後でじっくり見てみたいと思います!