No-music.No-life

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嫉妬と羨望。

私にはもう、二度と体験することが出来ないのだろうな――そんな事を思う季節。

春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。

3月は別れと終わりの季節
4月は出会いや始まりの季節。

そんなイメージ。




転職をしてから電車通勤になった事もあり、新年度が始まる度に真新しくまだ違和感の残るスーツ姿の新入社員と思しき若者の姿や、スカート丈が控えめな高校生の姿や、遠路はるばる大学へと向かう大学生と思われる若者の姿を見ると、どうしようもない程に嫉妬してしまう。

高校生が嫌いだと思うのは、きっともう戻れないあの頃特有の時間を生きていること、突きつけられるその若さと、社会人でもなく学生という、まだ親の元で育てられているという曖昧な存在というか、そういったものにうらやましさを覚えるからなのかもしれない。

同時に、今年度新社会人となる若者たちにも、私はいつしか羨望の眼差しを注いでいたりする。

スーツを着る機会というのがほとんどなかったというのもあるけれど、彼らはどうしようもなく若い。
大抵が大学を卒業仕立ての22、23歳位であろう。

私はその年、既に社会人5年目を迎えていたわけで。
5年目に、転職もしたわけで。

高校を卒業してすぐに田舎町のどうしようもない会社に就職してしまった私であるが、それでも社会人になりたてのころは、毎日緊張しながらもそれなりに未来に期待だってしていた。

環境に慣れるまでに物凄く時間のかかる人間だから、毎日腹も下した。
怖い先輩にビクビクしていた。

でも、人並み以上に努力はしていたと思う。

先輩の教えを一語一句漏らさぬように――メモしたノートは、会社を辞めるまでで5冊にはなっていた。

だけどそんな初々しい気持ちも、年を重ねる毎に忘れていってしまう。


私ももう、気付いたら社会人18歳で社会人になって7年だ。
今春8年目に突入する。

スキルアップをしたくて(給料をあげたくて)、転職して、今の職場環境には(給料以外は)満足しているけれど、もうあの頃みたいに誰かに教えてもらうばかりの立場ではいられない。
今年は自分が判断をして、引っ張っていかなくてはいけない立場になる。

今日みたいに、忙しい仕事に一日はあっという間に過ぎて、気付いたら残業になっていて、誰かに仕事を頼まれたりすることに、とても充実感を得たような気持ちにはなる。

忙しいことは好きだし、やりがいはそういうところから生まれて来ると私は思うわけだ。

だけど――

新社会人の若者のようには、もうなれない。
なることは二度と出来ない。

一からのスタートはもう出来ない位置に私は立っていて、彼らの若さ、初々しさ、これから色々なものを吸収して成長していくだろう明るい未来を、ただただ羨望の眼差しで見つめるしかないのだ。


新社会人の若者たちよ。
新しい生活で一人暮らしを始めたり、様々な出会いもあるのだろう。

現状維持で安定志向な私は、だから可能性に満ち溢れた若者たちを見ると、とてつもなく遠く眩しい存在に思えて仕方がないのだ。