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最下位女子高生⑩ ~中学生編~ 吹奏楽部の3年間・中2、中3編。

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ここで一気に書かないと多分次の更新まで書くことがなさそうなので書いちゃいます。


新入生、入部(中2編)



2年生になると、私への無視攻撃は沈静化し始め、私は警戒しながらも挨拶はちゃんと返ってくる程度に回復しました。

(その後妹が入部してきたので、無視されていることは絶対知られたくなかったし)

そして、4月。
新入生の入部する季節となりました。

今年も希望に満ち溢れた後輩達が入ってきましたが、少子化の影響は少なからずあるらしく今年は進入部員の数が例年より少ない気がしました。

というより・・・この異常な男子率の高さは何でしょうか?

私が入部した時は、1学年に2人しか男子がいない状態が続いていました。

しかし・・

今年はどうしたことでしょう。

5人位(うろ覚え)男子が入部してきたのです。

しかもフルートに至っては入部希望者がいないという始末!

そうすると、どうなるかというと。


不真面目な男子たち


元々、一学年上の先輩達は相変わらず練習をさぼっていた事もありますし、男子だというだけで可愛がられる後輩達もいきがりだし・・

結局不協和音が更に乱れに乱れ、この頃から少しずつ吹奏楽部は狂っていったように思います。

それは3年生になり、更に新入生に男子が入ってくると一層増してしまい・・
練習もせず遊びほうける男子に占拠され始めていくのです・・・


大会自由曲は「木星」・フルートからピッコロへ


フルートになって1年。

3年生が引退し、2年のパートリーダー1st(主旋律)U先輩、ピッコロ(フルートより小さくて甲高い音が出る楽器・画像参照)を担当するK先輩、2nd担当のA先輩の3人と、元々フルート経験者で最初からフルートを希望していたピアノも上手く勉強も出来るSちゃんと私と幽霊部員となってしまったK美ちゃんの3人(実質2人)がフルートパートの構成でした。

私は、フルートの2ndを担当していました。
俗にいうはもり部分を弾く係であります。

私ははもりあってこその音だと思うので、苦ではなかったのですが、アルトサックスをやっていた友達のTちゃんは、1stをやりたくて仕方がなかったよう。

確かに2ndははもりという事で、音程を掴みづらいところはあったのですが。

でも、1st=パートリーダーということになるのも私は嫌でした。


フルート1st → U先輩、Sちゃん
フルート2nd → A先輩、私、K美ちゃん
ピッコロ    → K先輩

この状況下で、何と木星にはピッコロにも1stと2ndが存在することが判明し、先輩方は誰にピッコロをやらせるかで悩んでおりました。

何でも、1年先輩の方々はピッコロを希望しているのが3人共だったらしく、争奪戦が繰り広げられたそうなのです。

しかし私は上手くもないし、貧乏なのにフルートを買ってもらった(それでも木管では一番安く買える楽器、7万円!)こともあって、やりたくありませんでした。

しかし・・
フルートの1st兼未来のパートリーダーは絶対Sちゃんにしか務まらない。
また、2ndは幽霊部員ながらK美ちゃんもいるし、A先輩がピッコロに回ってしまうと2ndのリーダーがいなくなってしまう。

そして、先輩方からピッコロをやってくれと頼まれる事になったのでした・・・


ピッコロ担当


しかも衝撃的だったのは「あ、ソロあるわ」という一言でした。

聞いてないよ!!っていうか、無理!

と思いつつ、私を無視していた先輩だったこともあり逆らえず・・

ただそのソロというのは、1stフルート、ピッコロ、2ndフルート、ピッコロが同時にソロ演奏するたった4音だったので、割と難なくこなせたのですけどね。

がしかし・・
どうしても一節吹けない所がありました。

もうソロか!
っていうくらい、ピッコロがメインの部分があり・・
先輩が吹いている時には、吹きマネを。
先輩がいないときはどうしても音を出せず、「吹いてね」って何度怒られたことか・・

結局、最後の最後まで吹けずに終わりましたけどね・・


そして、大会が終わっても私はピッコロ担当のまま3年生を迎えることになります。

フルートとピッコロ兼任という、大して上手くない部員がやることではない担当でした。


2年目の県西大会


木星は、有名な惑星シリーズの曲。
平原綾香がカバーした事で一躍有名になりましたよね。

ここで、いくつものトラブルが発生しました。

まず、

①ソロが多い

フルート、ピッコロは勿論他のパートに至っても難易なソロが多い曲でした。
そしてあろうことか、本番で先輩達がことごとくソロに失敗したのです。

フルートのU先輩は、緊張の為かいつもすんなり吹いていたソロを吹き損ね、また他の先輩に至ってはマウスピースから「キー」という不協和音が鳴り響いたりと散々でした。


②チューバ担当の男子の先輩が、盲腸にかかり、何とベースで演奏することに

これが、県西大会の直接の敗因になろうとは、誰が予想したのでありましょうか。

これはもう顧問がバカだったのですが、「吹奏楽にアンプを使用するなんてもっての他!」という厳しい言葉を頂いたそうです。

チューバ(大きい金管楽器。低音を担当)と、今年入部した1年の男子O君がコントラバスを担当していたのですが、先輩が盲腸でチューバを吹くことが困難になったのです。

コントラバスだけでは低音が弱い。
そう考えた顧問が、ベースを用意したのですが・・

なんだか情けない敗因です。


③やはり練習不足


私もそうでしたが、やはり今年は練習不足がたたったのだと思いました。

それでも驚いたのは、3年の先輩方が悔しくて泣いていたのを見た時です。

それを冷めた目で見ていたのを覚えています。


3年の引退、平和な部活も過剰過ぎるとどうしようもない(中3編)


3年が引退し、いよいよ最高学年になった私達。

相変わらずフルートとピッコロを兼任していた私と、パートリーダーになったSちゃん。
また私と同じようにパーカッションからフルートに転向した後輩のMさんの3人だけになってしまったフルート。

今年は1年生が入ってくるのだろうか?

不安を抱えながら、新入部員が入ってきました。


仮入部の時から嫌な予感がしていたのですが・・

一般的に少し人と違う子(特殊学級に入る程ではないにしても)という認識がされるであろう1人の後輩。

それと、フルートにはおよそ似つかわしくないしっかりとした体型をした子がフルートに入ってきたのでした。


いや、でもやる気があれば・・!

そう思いパート練習で指導をするものの・・

二人は一向に上達しませんでした。

・・多分記憶が確かなら、卒業する頃までそんな調子だったはず。

その後、あのフルートパートがどうなったのかは知るよしもありませんが、3年生になってから急激に全体のレベルが下がった事は言うまでもありません。

妹が3年になった頃には、諦めるしかないような状況だったそうです・・


そして、増殖した男子達の悪ふざけは止まらず・・・
先輩後輩関係も全くないような状態になりました。

まるで、私達が1年の時のことなんて嘘のようです。

そうして、私は部活を引退したのです。

あとのことは知りません。


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先輩に無視され、やりたくもない楽器を任され、後輩を育てられず・・

私があの部活で経験したことって何だったのでしょうか。

今でも疑問に思います。


だけど、文化祭とかで演奏するのだけは好きでした。
ヒット曲を演奏できることも楽しかったですし。

でも多分、もうフルートを吹く機会なんてないんだろうなあと思うのでした。


それにしても、学年が上がるにつれて記憶が薄れていくのはよっぽどつまらなかったせいかもしれません。
平和っていうのは、時につまらないものですよ。