運動会・・
運動音痴の私には、とても嫌な行事の一つでもあるその大イベント。
小学校の時の運動会も、得点板係(競技が終わる毎に3階の校舎まで駆け上がり、得点を替えに行くという過酷?な係)を押し付けられたり、練習中に鼻血を出して体育館に寝かされたり、毛虫が背中についていたり(!)嫌な思い出しかなかったのですが・・
それでもまだ小学校は良かったのです。
自分の大好きな音楽を演奏する、鼓笛というものが存在したので暑さの中辛くても苦にはなりませんでした。
地区毎に盛り上がるリレーだとか(自分は絶対参加せずに済む位に割と沢山の児童がいた)、テントで各々お昼を取ったりするのは楽しかったし。
地区毎に盛り上がるリレーだとか(自分は絶対参加せずに済む位に割と沢山の児童がいた)、テントで各々お昼を取ったりするのは楽しかったし。
何より練習期間が1ヶ月位あったのでそこまで過酷でもなかったですし。
紅白対抗だったので、ヒット曲を替え歌にして紅白それぞれの応援ソングを歌ったりするのは面白いと思いました(これは私の地元位のものなのですかね?皆さんはやりました?)。
紅白対抗だったので、ヒット曲を替え歌にして紅白それぞれの応援ソングを歌ったりするのは面白いと思いました(これは私の地元位のものなのですかね?皆さんはやりました?)。
がしかし・・
中学校ではそうはいかなかったのです。
---
1年の時はまだ1週間位の練習期間はあったから良しとしても、私が中学の頃は何故か第一週目の日曜日に運動会を行う、という強いしきたりのようなものが存在していました。
私が卒業して少し経った頃から土曜日に行う学校が増えましたよね?
しかも第一週目でもなくなったし。
しかも第一週目でもなくなったし。
そのせいで、2年・3年と時が進むにつれ、暦の関係上新学期・9月1日から日曜日までの期間はどんどん短くなっていきました。
それが3年の時でしょうか。
新学期から本番までに5日の猶予しかなく、更に4日目に予行練習が行われるという事になっていました。
ということは、3日で流れを把握し様々な種目を覚えなければなりません。
しかし、団体競技やクラス対抗、更に部活、各係など様々な仕事が山積みになっていました。
音楽に合わせて、組体操をするという単純なものでありながら、実際は大変過酷な種目でもありました。
男子に至っては、人間ピラミッドをしたり、人の上に立つというようなことが行われ、それをしかも3日でほぼマスターしろと言うのですから、無茶過ぎます。
その脇を固めるのが女子たち。
地味なようで、実は何気に過酷な競技がこのマス・ゲーム。
中心となる男子達をたてる為、周りでひざ立ちをしたり(砂利がひざに食い込んでありえないくらい痛い)小さな人間ピラミッドを作ったり・・
地味ながら夏の暑さと覚えなければいけないというプレッシャーとの戦いが始まりました。
地味ながら夏の暑さと覚えなければいけないというプレッシャーとの戦いが始まりました。
まあ私の年は、3年の女子だけは別種目と決まっていたので、1~3年の男子と1、2年の女子で行われた種目だったのですが。。
何であんなものをやらなければいけなかったのかが謎です。
午後一のメイン種目でもあったのですよね。。
---
練習をするにつれ、近づいてくる本番に苛立つのは先生達。
あまりにも覚えが悪い生徒達に向かって、容赦なくマイクごしに怒鳴ってきます。
中学から家が近かった私は、帰宅すると「先生の怒鳴り声が聞こえてきた」と父に言われたりしました。
中学から家が近かった私は、帰宅すると「先生の怒鳴り声が聞こえてきた」と父に言われたりしました。
授業は全て練習にあてられ、更にクラス毎の朝練。放課後の部活・・
と夏の暑さが夏休みボケの体にはかなり響いて朦朧としてきます。
と夏の暑さが夏休みボケの体にはかなり響いて朦朧としてきます。
昼休みになると、水道には長蛇の列。
水を求めて生徒達が並び、給食で出る冷たい牛乳だけが唯一美味しさを感じる瞬間です。
水を求めて生徒達が並び、給食で出る冷たい牛乳だけが唯一美味しさを感じる瞬間です。
しかし、嫌なことばかりではありません。
運動会というのは、全校が一体となって行われるもの。
ということは、違うクラスのK君の姿を見ることが出来るということです。
---
運動会当日。
K君がリレーで走る所。部活動パレードで野球のユニフォームを着て行進している所・・
一日中何かしら姿を見る事が出来ると嬉しくてたまりません。
一日中何かしら姿を見る事が出来ると嬉しくてたまりません。
練習が辛かった分、こういう些細な出来事で私は嬉しくなったものです。
そして、忘れもしないとある出来事がありました。
私の好きだったK君は、運動会の係の中で徒競走やリレーの順位ごとに並ばせる為、誘導する係を担当していました。
K君は4位の担当で、4着の子の腕を引っ張って「4」という旗の列に並ばせる係だったのです。
そして、チャンスはやってきました。
3年女子、徒競走。
足の遅い私にとっては、苦である競技。
しかし、今回の誘導係にはK君がいたのです。
しかし、今回の誘導係にはK君がいたのです。
これは、何としてでも4位に食い込まねばならぬ・・
そう思い無我夢中で走りました。
そう思い無我夢中で走りました。
1位でも3位でも駄目(というか、足が遅いのでなれないし)。4位でなければならない・・
そう思い必死で走りました。
そう思い必死で走りました。
一つ前には、同じ部活の子が走っています。
そう思いがむしゃらに走りました。
そして・・ゴール!
しかし誘導してくれたのは、見知らぬ後輩。。
そう、私はチャンスを目の前にして逃してしまったのです。
同じ部活の子は、K君に腕を引かれ列に並んでいきます。
あと少しだったのに・・・
私はやる気を失いました。。
それから、接触のチャンスもないまま運動会は幕を閉じました。
クラスは上位に入る事もなく、疲労と真っ黒になった肌を残し運動会は幕を閉じました。
---
あれだけバタついて行われたにも関わらず、何とか運動会を形にしてしまえる中学生が凄いと思いましたよ。
それにしても、もうあの頃には戻りたくないと思います。本当に。