豊島さんの初エッセイ底辺女子高生に大分共感し、うなずきまくった私 すきま風でございます。
人に言ったら
人に言ったら
「誰にでも、そういうことはあるよ」
となだめられ、密かにここに記して行こうと誓いました。
誰にでも・・
あるわけない。そんなわけない。
豊島さんもそうだったのでしょう。
この私も、大分卑屈に考えていると思われるかもしれません(実際そうなんですが)。
そして、被害妄想・自意識過剰なのでは?
と問われることも覚悟しております。
この私も、大分卑屈に考えていると思われるかもしれません(実際そうなんですが)。
そして、被害妄想・自意識過剰なのでは?
と問われることも覚悟しております。
でも笑い話にしたらずいぶん楽になる気がします。
あの底辺だった高校時代を。
あの底辺だった高校時代を。
思い出すのもいやなあの時代を、思い切って
告白してみようと思います。
告白してみようと思います。
それを語るには、高校よりも前、中学校・小学校まで戻ってみようと思う(流石に幼稚園の記憶は断片しか残っていないので)。
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何だか覚えているのは、変なことばかりだ。
運動会の、紅白対抗でそれぞれの応援歌を作るのだが・・
図書委員をやっていて、世界名作系の秘密の花園だとか、足ながおじさんとか・・
いつもそんな本を読んでいたな。
それで、小学校向けの怖い本・・なんだろう、小学生でも読める風な本なんだけど・・
口裂け女とかそういうのが載っている本ね。
見たくないのに、友達が持ってきて一緒に見てしまったり。
いつもそんな本を読んでいたな。
それで、小学校向けの怖い本・・なんだろう、小学生でも読める風な本なんだけど・・
口裂け女とかそういうのが載っている本ね。
見たくないのに、友達が持ってきて一緒に見てしまったり。
で、夜怖くなって(笑)
小学校3年の時の、転校生を送る会で「20歳までに忘れられなかったら死ぬ」的な話をされて20歳を過ぎた今でも覚えていることや。
今では、道路やスーパー・パチンコ店が出来てしまった通学路。
昔は、外国人ばっかりいた鉄工場?の前を通る時いつもドキドキしていたこととか。
田んぼに流している水の、あの夏の・・とても冷たかったことや。
怖い担任に怒られるのが怖くて、2/3まで来た通学路を家まで体操着を取りに走っていって。その時涙が止まらなかったことや。
昔は、外国人ばっかりいた鉄工場?の前を通る時いつもドキドキしていたこととか。
田んぼに流している水の、あの夏の・・とても冷たかったことや。
怖い担任に怒られるのが怖くて、2/3まで来た通学路を家まで体操着を取りに走っていって。その時涙が止まらなかったことや。
体育委員会で、運動会の点数板を交換しなければいけない役を押し付けられたり(その時は、嫌だなくらいにしか思わない純粋な自分)
嫌われ者の地味男子と、その係りをやる羽目になり・・
私は校庭から3階のベランダまで走ってたなあ。
嫌われ者の地味男子と、その係りをやる羽目になり・・
私は校庭から3階のベランダまで走ってたなあ。
今となっては、ブチキレてたね。
多分、今でもあの時と変わらずに言い返せないだろうけど・・
多分、今でもあの時と変わらずに言い返せないだろうけど・・
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と、今考えてみると結構微妙な順位に居たことがお分かりでしょう。
今は想像もつかないでしょうが(自分でも)、小学校の時(今でも少しあるけど)赤面症が酷くて、好きな人なんてすぐに本人にばれてたしな。
それでいて、地味で目立たないし運動も勉強も秀でているわけではなかったから、本当に地味!
あまり喋らず、友人も学年に4・5人程度しかいないという始末。
あまり喋らず、友人も学年に4・5人程度しかいないという始末。
しまいには、あの頃は人を憎むことを知らなかった気がする。
憎んでいたとすれば、先生くらいかな。
憎んでいたとすれば、先生くらいかな。
やたらとえこひいきする先生で、いつもその不条理さに涙してたかも(中学校1年生まで私は結構泣き虫だった。今となっては絶対に人前では泣きたくない・・たまにこらえきれない時もあるけど・・)
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今の自分が小学生だった自分にこう言いたいですよ。
あの頃は、特に面白いと感じていたのかは不思議ですよ。
毎日何を考えて生きていたんだろう。
毎日何を考えて生きていたんだろう。
家では、給料日前一週間前くらいになると、決まって食べるものや何もかもなくなって。
世の家庭は、皆そうなのだと思ってました。
世の家庭は、皆そうなのだと思ってました。
お金ないお金ない・・
母の、深刻な表情も今となっては全て理解してしまいました。
知らないって・・いいことなのかもしれなかったね。
世間は、自分の環境と一緒なのだと、どうして純粋に思えたのだろうか?
世間は、自分の環境と一緒なのだと、どうして純粋に思えたのだろうか?
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そういえば、この記事を書くにあたって日記帳をひっくり返してました。
思えば今も続くこの日記は、小学校6年の誕生日の時から始まりました。
小学校卒業までのカウントダウンや、その後すぐに中学校入学までのカウントダウンとかが書いてありました。
6年最後の席替えで、4年(中1までずっと好きだった・・)好きだたったY君と念願の隣の席になれたこと。
しかもその席で、Y君を目の前にして納豆を食べるのが辛かったこととかも書いてあり、私はそれを思い出せるのが凄いなあ・・などと思いましたよ。
しかもその席で、Y君を目の前にして納豆を食べるのが辛かったこととかも書いてあり、私はそれを思い出せるのが凄いなあ・・などと思いましたよ。
その時に、自分たちも作ったものを食べたのだけど。
あの紅茶の不味さと言ったら強烈だった!
あの紅茶の不味さと言ったら強烈だった!
匂いも苦手だし、飲んだらどうしようもない味がしたのだったなあ・・。
おかげさまで今も嫌いです。
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写真は、自分の好きだった人「Y君データ」という怪しげなものが日記に!
怖いよ~
怖いよ~
と思ったら、はやっていたサイン帳にY君が書いたものを移させてもらったらしい。
ってか怖いよね。
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そんな風に、なんてことない小学生時代は過ぎていったのでした。
そして中学入学です。