No-music.No-life

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底辺女子高生

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「本当の私」なんて探してもいません。
みっともなくてもがいている日々こそが、振り返れば青春なんです-
「底辺」な生活から脱出するため家出した高校二年の春。盛り下がりまくりの地味な学祭。
「下宿内恋愛禁止」の厳粛なる掟。保健室の常連たち。
出席日数が足りなくて、皆から遅れた一人きりの卒業式・・・

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今大注目の作家・豊島ミホさんの初エッセイ!

この本は地元でも売ってました。
流通(田舎でもちゃんと発売日に出回る)と、価格の面で今の高校生をしている人たち全国の皆さんにてにとってもらえるようにとの配慮というわけで・・

だから、文庫です!

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音楽的(しかもちょっとマイナー系)な話が結構出てきていたり、自分を「底辺」だったと言ってしまう辺り・・

絶対私と似ていると思ってました・・。

そして見事に期待を裏切らない豊島氏!

その1 秋田の山奥に住んでいた豊島氏。高校は秋田主要都市にあった。。そこでであったカルチャーショックとは!?

-「あたし」?
その一人称は、私の町(要するに山奥)で一般的な一人称とは違っていた。
-「オラ」じゃねの?

告白する時は、必ず自分を名乗る時が来てしまう!
その為に、必死に「おら」から「あたし」にする為の努力をする。

・・ある程度の年になって明日から名前を変えるというのは、「難しい」というよりむしろ「恥ずかしい」のである・・


そこでまず納得してしまった。
私も、小学生の時。
自分を「○○ちゃん」とちゃん付けで呼んでいたわけです。
しかし、今もそうだが・・自分をちゃん付け、または自分の名前を呼び捨てにするヤツにはなりたくない!
というポリシーが働いていた。

「○○ちゃん」から「僕ちん」(←これで言うなら名前を呼んだほうがいいような・・)から「うち」(中学生のほとんどは必ずこの道を通る・・)から「私」から「あたし」にようやく変わったのである・。

何故か恥ずかしいんですよね。
中学までこれでしたから・・。
小学生の高学年で「私」と言おうと努力してものの・・。
恥ずかしくて無理でしたもん。

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その2.高校二年で襲う5月病!クラスに馴染めない豊島氏。しまいにはクラスの中で「一番下」だと感じるようになり・・家出を決行する!

・・その新しいクラスに於いて、私はもう、何をしようと無駄なポジションについていた。
-その辺の女子におはようと声をかけることさえ許されない雰囲気があった。
そう、まさに「底辺」、ほんとうにほんとうの「底辺」に私はいたのである。

びっくりしましたね・・。
まさかこんな風に自分をクラスの中で「一番下」だと思う人間が私以外にいたとは!
まさに私も高校二年の時だった。
クラスの大半の女子が頭のいいギャルだったこと、私と同じようなグループにいる子ですら、そのギャルたちと割と喋っているような関係だったこと。
クラスの男子はおろか、女子とも緊張してろくに喋れない自分。

その時私は・・クラスで一番下だと、悟ったのだった・・。

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豊島さんは、このエッセイのなかで・・
積極的にいじめられているわけではなかったけれど、逆に「若干オモチャだけど、ま、基本的にどうでもいいし」と思われているのが嫌だったのである。

と語っているけれど、本当に些細な積み重ねなんですよね。
底辺と思うきっかけなんて。

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真面目故、頭がいいと思われていた自分。
大嫌いで苦手な数学の問題をギャルクラスメイトから聞かれた時、「本当に分からない!」と言っているのに、「分かるくせに・・」のような態度を醸し出しながら去っていくギャルクラスメイト。

地味男子にすら、下に思われている態度。(プリントを廻した時も大分素っ気無い)
球技大会で、自分が出ると負けると思われ(実際負ける)試合に出させてもらえなかったこと。
(球技系に関しても、豊島さんは参加する→失敗する→舌打ちをくらう、であると言っているのもかなり納得。)

バスケやソフト、バレーの嫌な思い出が浮かんできたよ・・。
バドミントンと卓球だけは唯一好きな友達と出来たから良かったけど・・。
(やはり卓球は地味女子の種目なのかな・・)

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その3.掃除は絶対押し付けられているとしか思えない!いつもいつも地味男子と二人で掃除をする羽目になる豊島氏。これは絶対にやらされている!?

教室の掃除、特別棟の掃除・・

いつもサボる人たち。

サボる側のほうは、私たちが真面目に掃除するのをわかっているはずなのだ。私らが先生にチクリもせず、うんざりしてサボることもせず、きちんと掃除を遂行してから帰ることをわかっていてやっているのだ!

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本当にそうですよね。

私の高校は、掃除の時間というものが特に定められていないせいで物凄く汚かった。
ごみ箱の目の前の席の時は、ごみがあまりにもくさくて(それでいて誰もやらなくて!)当番でもないのにごみを捨てていた記憶があります。

絶対クラスの3分の2+3分の1の半分のやつらは絶対やらなかった。

帰りやがるんだ!
私だって電車通学だし、バイトもあって忙しいというのに!
お前らが汚した教室を掃除するなんて・・!

といらいらしつつも、決してはむかうことが出来なかったあの頃。
切れることだって出来なかった・・。

・・・・・私は、この人たちの(サボる人間)世界の中にいない。本当に嘲笑以外は向けられない。私が一生懸命何かをはたらきかけても、この人たちは絶対にこたえないだろうということが、心底悔しかった。

それから、豊島さんは教室にいかなくなる。
私は、それでも嘲笑から耐えて必死で、嫌な想いをしてずっと3年間皆勤だった。

この状況に、豊島さんは(学校が嫌で)家出をしたり、教室にいかなくなったりと自分の気持ちをアピールしていて、確かにそこに存在していたのだ。

でも、私は多分、クラスで一番に名前を忘れられる存在なのだ。

その分、豊島さんは卒業が皆より遅れることになったり、先生に沢山迷惑を掛けたけど・・
それでも、最後にはクラスメイトの記憶や先生の記憶にしっかりと残るような存在になったのでは?
と推測します。

あまりにも似ている。
でも、結末は全然違う。

地味に入学して、地味に、普通に私は高校を卒業しただけだ。

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豊島さんの「底辺女子高生」というエッセイに感化され、新しく高校時代の底辺だった話でも書いていこうかしら。

ある意味面白いかもしれない。