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レミオロメンの描く軌跡

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その頃は、まだ無名だった。

一度聞いただけでは覚えられないような。
そんな複雑なバンド名。
しかし、一度聞いただけで私は彼らの『音』を忘れられなくなった。

    レミオロメン

不思議な名前の
3ピースバンド。


 初めて彼らの音を聴いたのは、2003年、ACIDMAN・Syrup16gなどが出演したJAPAN CIRCUITのライブだった。


まだ知名度も浅く、「レミオロメン?何だそれ?」と顔をしかめてしまうような・・
そんな無名の彼らがこのJAPAN CIRCUITへ出演する事は、ある意味異例のことだったと言える。

今ではもう明確には覚えていないが
ミニアルバム『フェスタ』の中に収録されている曲を中心に演奏していたと思う。

その頃はまだ、観客の反応もまばらで、声援を送っていたのも数えられるくらいの人しかいなかった・・。そんな事を覚えている。


でもそれは・・決して彼らの「音」が観客に響いていない訳ではなかった。

自分自身が・・一緒に見ていた友人が・・彼らの音に魅了されたように。
また自分達以外の観客も静かに、だけど確実に彼らの音の虜になっていたのだ。


それは、当時(確か)500枚限定でライブ会場にて売られていたCDが、ライブ終了後完売していたことが確かな証拠であろう。


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それから、数ヶ月後。
初の全国流通音源となるミニアルバム『フェスタ』をリリースする。

このミニアルバムは、各レコード店にて確かな手ごたえを感じる作品になったようだ。

そして音楽ファンの中でも、じわりじわりと<レミオロメン>という名前は広まっていった。



       僕らはいつまでも 僕らはいつまでも
       些細な争いを 出来るんだろうか?
      
                     /ビールとプリン



ビールとプリン、という少し不釣合いな組み合わせの曲名。
これはフェスタを代表する名曲だ。

この歌詞の、何とも言えない切なさ。

恋愛関係にある男女の日常を静かに、さりげなく切り取って歌にしてしまう。

「些細な争い」すら、いつまで出来るのだろう?
そういった日常的な恋の小さな不安をも、さりげなく彼らは歌にする。


その後、『雨上がり』『電話』と山梨時代に温めていた音源をリリースしていく。
メジャーデビューを経て
ファーストアルバム『朝顔』リリース。

彼らの、山梨時代の音源からデビューにいたるまでの軌跡をその一枚に凝縮したような、集大成的な一枚になっている。

新曲が「朝顔」と「追いかけっこ」のみという(!)ある意味挑戦的な一枚だ。



その間にも数々のライブへ出演。

ライブを重ねる度、彼らは栄光への軌跡を描き始めていく。


2004年、3月9日。

シングル『3月9日』リリース。

友人の結婚式に贈られたというその曲は、一度聴いただけで鳥肌が立つ程のものだった。


      瞳を閉じればあなたが
      まぶたのうらにいることで
      どれほど強くなれたでしょう
      あなたにとって私も そうでありたい


この曲で、彼らは山梨時代の音源を一区切りし、第一期を終える。

そして、レミオロメンの新たな一歩となる『アカシア』をリリース。

確実にファンを増やしながら、ライブの規模も徐々に大きくなっていく。


そして、2005年。

『モラトリアム』『南風』そして、3ヶ月連続リリースの最後となるアルバム『エーテル』で、彼らはその地位を不動のものにする。


3月9日には、武道館という場所でのライブを行い大成功を収めた。

今月、シングル『蒼の世界』をリリースした。



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それはまるで、早回しの映像を見ているかのような。
早くて、自分では気づかないうちに物事が進んでいるように。

彼らもまた、確実に栄光への道を歩んでいった。
ただ、そのスピードが速かった。

2年前「レミオロメン?誰それ?」と言われていたものが
今年 「レミオロメン?知ってるよ」と変わったように。

確実に、世にその名前を定着させ、大勢の人を魅了するバンドとなっていった。


先日、レミオロメンのライブを見た時
何かがぽっかり抜けているかのような、そんな虚無感が沸き起こってきた。

エーテル』というアルバムをリリースし、確実にファンを増やして確かな音を奏で続けている彼ら。

あのアルバムの完成度の高さは、目を見張るようだった。

レミオロメンの楽曲には、世代や音楽性の好みなどという壁がない。
彼らの楽曲が、これほどまでに日常的な風景に溶け込むのは、耳に馴染みやすいサウンド、心地よい歌声、いい意味での庶民的な音のせいだと思うのだ。


ミニアルバム『フェスタ』では、目を閉じれば今にもそんな日常風景にトリップしてしまうかのような。
ファーストアルバム『朝顔』では、全曲が自然と耳に馴染んでいくような、そんな心地よさがあった。

山梨時代と称される初期の頃の楽曲には、まだ成長途中でありながらも、若々しさ故の衝動だとか、勢いだとか・・
そういったものが感じられたように思う。

しかし、だ。

セカンドアルバム『エーテル』には、そういう衝動や勢いを感じさせない何かがあった。

小林武史氏をプロデューサーに向かえ、彼ら自身の楽曲のクオリティも確かに高まっている。
一曲目の「春夏秋冬」から「海のバラッド」までの全12曲。

流れるようなサウンド
確かに心地いい。

なのに、何だろう?
この感じは、何なのだろう?


多分、そう「完璧」なのだ。
万人を惹きつける音。
良い意味で、誰にでも馴染む音というか。

初期を知っているからかもしれない。
あの頃の、勢いを失わないで欲しいと願う気持ちが、複雑な感情を呼び起こしているだけなのかもしれない。


2003年で初めて彼らを知り、2005年の今年・・
彼らは栄光への道を歩き出した。
それは今月発売したシングル『蒼の世界』がオリコンチャート初登場2位という快挙を成し遂げた事にも表れているだろう。

レミオロメン>が音楽シーンに登場してから、一躍トップシーンに躍り出るまでの間、
確実にライブ動員数を増やしファンを増やしながら・・私は、彼らの肝心な部分を見逃していたのかもしれない。
だからこそ、突然増えたかのように見えるファンの多さに少し複雑になるのかもしれない。


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彼らは歩き出した。
確かに、栄光への軌跡を。


遠くへ行かないで欲しいと思い敬遠しながら・・・
それでも目で追ってしまう。

彼らが何処まで歩んでいくのか、彼らの行く先は何処なのか。

これからも、ずっと追っていってしまうのだろう。

人を弾きつけて止まない彼らの音に、私はまた目を離すことが出来ないのだ。