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JR、首都圏の駅全面禁煙に物思う。

煙草が嫌いである。
しかも、「大」が付く程に嫌いなのである。

そんな煙草嫌いの、私と同じような田舎に住む人にとっては、今回のJRの対応は憤りを覚えるのではないだろうか。


何故、「首都圏」だけが全面禁煙なのか!



私が使う電車の場合、大宮より先が全面禁煙となる。
しかし、大宮より手前に住んでいる私にとって、それこそ憤りを覚えて仕方がないのだ。

いっそ、全ての駅に対して全面禁煙にするべきではないのか。
そして首都圏というのは、関東+山梨県を含む県を差すのではなかったか。

私が住んでいるところは確かに田舎だ。
だが、首都圏であることに違いはないはず。




とはいえ最近の世間の動向を見てみると、喫煙者に対しての冷たい態度が顕著に表れている気がする。

煙草税は増え続け、喫煙所は撤去され、自販機にはtaspo(綴りに自信ないです)が必要だとか、ランチタイムは禁煙だとか、お煙草は所定の場所で、だとか。

非喫煙者の私としては、全く痛くも痒くもないわけではあるが、それにしては喫煙者の数は一向に減っていないような気がしてならない。

金がない、節約だ、とは言ったところで、喫煙者はそう簡単に煙草をやめることはできないのだろう。辞めると言ったものの、辞められた人を私は未だほとんど見た事がない。

喫煙場所を撤去、喫煙者を排除するような動きとは反対に、喫煙者が減らない現実。

環境を変えたところで、そんな簡単には変わらないのだ。

通勤時間帯には禁煙と定められているJRの駅でも、サラリーマンが平気な顔してホームで煙草を吸っているのに結構な頻度で遭遇する。
喫煙所ではなく、電車を待っている人がいるホームで平気でスパスパ煙草を吸っているのだ。

別に煙草を吸うことで、人に迷惑をかけないのならば構わない。

けれどどんなに離れていても、紫煙が風に乗って私の鼻先にまで届くのだ。
私は顔をしかめながら、煙草を吸っているサラリーマンを睨む。

煙草の匂いが染み付いたコートを着たサラリーマンが隣に座るだけで私は不快でたまらない。
高校の頃、同級生が制服姿で煙草を吸っている姿をよく見たが、それも今の大人には注意することなど出来るまい。
いやむしろ、今は大人の方がマナーを守れていないのではないか。

そんな憤りを覚えるこのごろ。




私の家の近くに住む、名も知らぬ白髪頭のサラリーマン。
毎朝同じくらいの時間に家を出るせいか、いつも駅に向かって歩く道のりでそのサラリーマンの後ろを歩く形になってしまう。

何が嫌なのか?

そのサラリーマンは、毎日必ず歩き煙草をしながら駅まで歩いていくのである。

今日目測した限りでは、50m離れているにも関わらず、不快な煙草の匂いが鼻先にまで漂ってくるのを察知した。
私は人より鼻がいい事は認めているが、以前の職場で慢性的に煙草臭い環境で仕事をさせられていたせいもあり、煙草の匂いに関しては相当敏感になっていると言っても良い。
故に、人並み以上に煙草臭さを察知する能力は高まっていることは認めよう。

そしてそのサラリーマン、駅まであと少しというところで、必ず!毎日!排水溝に煙草を捨てるのである

いつかその排水溝にどれだけの煙草がたまっているかを確認してやる!という怒りを抱きつつ、まだ確認をしていないので分からないが、毎日だ。相当な量が貯まっているのであろう。

歩き煙草、煙草のポイ捨て、マナーの悪さに私が相当このサラリーマンに対して怒りを覚えている事を、後ろから鬼の形相で睨みをきかせていることを、このサラリーマンは知る由もなかろう。


首都圏の駅、全面禁煙。

突然、こんな風に改善してみても、実は全く改善されていないということにまず気付くべきではないだろうか。
駅で吸えないから、駅に到着するまで煙草を吸おう。
電車の中で吸えないから、電車の待ち時間の間に煙草を吸ってしまおう。

そういった輩は、現にこうして存在する。


いっそ煙草は麻薬と同じもの、というくらいに法的に規制でもしてほしいところではあるが、それは現実的ではない。
ならばもっと、喫煙者と非喫煙者が歩み寄っていける方法はないものなのだろうか。

そんな事を、思ったのだ。