買っていた前売り券が、渋谷のシネセゾンでしか観られない券だったせいだろうか。
朝一番の10時の回で観ようと意気込んでいったら、既に行列。
そして「10時の回は満席となりました!」という非情な案内が。
そして「10時の回は満席となりました!」という非情な案内が。
という訳で、次の回に持ち越し。
再び映画館へと足を運ぶと、既に今日の上映分は完売とのこと。
再び映画館へと足を運ぶと、既に今日の上映分は完売とのこと。
これは多分、話題性もあるけれど前売りがこの劇場限定ということが一番の原因なのではないだろうか。
感想は、酷評になります。
映画が観たい人は見ない方が良いです。
映画が観たい人は見ない方が良いです。
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美術学校に通うみるめ・えんちゃん・堂本は、ある日、軽トラックでトンネルを走行中、トンネルの中で何かを追い越した。
幽霊かと騒いでいると、トンネルから出てきたのは一人の女。
幽霊かと騒いでいると、トンネルから出てきたのは一人の女。
終電を逃したという彼女をトラックの荷台に乗せ、別れる。
学校の休憩時間、喫煙所で煙草を吸っていたみるめは隣に座った女からライターをもらう。
その女は、あの時軽トラの荷台に乗せた女。
その女は、あの時軽トラの荷台に乗せた女。
ひょんなことから、モデルになって欲しいと頼まれたみるめはユリのアトリエへと通う。
少しずつ心を通わせていき、いつしかみるめは自由奔放なユリにすっかり夢中になる。
ユリもみるめとのそんな仲を楽しんでいる。
ユリもみるめとのそんな仲を楽しんでいる。
みるめのことが好きなえんちゃんは、二人が付き合っている事を知って苛立っている。
そんなえんちゃんをなだめる堂本。
そんなえんちゃんをなだめる堂本。
ある日、ユリが学校を休んでいた日に家へと尋ねるとそこにはユリの父と思われるおおらかな男性がいた。
「お父さんと二人暮らしなんだね」
「猪熊さん?旦那さん、私の夫」
そう、ユリは結婚していたのだ。
失恋を確信し、諦めようとのたまうみるめ。
そんなみるめに苛立つえんちゃん。
失恋を確信し、諦めようとのたまうみるめ。
そんなみるめに苛立つえんちゃん。
会いたい気持ちを抑えようとすると、どんどん募っていく会いたいという気持ち。
ユリからの連絡は途絶え、家に引きこもってしまうみるめだったが・・・
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私の辛辣な感想。
この監督の前作犬猫には興味があったが観ていないので、一口には言えないことだけれど・・この監督の撮り方が私は好きじゃない。
まず、ユリがふらふらと道を歩いているシーン。
冒頭のそれからこの映画の最後を見ているような気分になった。
冒頭のそれからこの映画の最後を見ているような気分になった。
最後というのはラストという意味ではない、絶望的な方の「最後」である。
そのシーンは、謎の女が道路をふらりふらりと歩いてヒッチハイクのようなことをしているという映像なのだが、あそこまでダラダラと長く撮る意味はあるんだろうか。
①映画の随所随所に見られる、「無駄」の多いシーン
例えば、ただ何かを食べているというシーンを無意味に流しているようなこと。そのシーンをたとえずっと撮り続けたところで、映画のアクセントにはならないだろうというような、本当に些細なシーンが無駄に長い。
それだけならまだしも、
例えばそれは永作博美演じるユリが土手道を自転車で歌いながら走るシーン。
どんどんと遠ざかるユリの姿を決して近づいて追うことはしない。
同じ位置で、ただじっとその後姿を取り続ける。
同じ位置で、ただじっとその後姿を取り続ける。
それは他の俳優に対しても同じようなシーンが多かった。
多用しなければ、映像的な効果もあっただろう。
しかし、画面のほんの隅の方で主人公達が小さく動いているのが見えるという映像は、観ている側からすると、何処か置いてきぼりにされたような気持ちになった。
しかし、画面のほんの隅の方で主人公達が小さく動いているのが見えるという映像は、観ている側からすると、何処か置いてきぼりにされたような気持ちになった。
これは、人によってはいいじゃないかと言う意見もあると思う。
自然体の会話だったのだし、ユリとみるめの仲睦まじさが自然に出ていたと捉えれば何も悪い事はないだろう。
自然体の会話だったのだし、ユリとみるめの仲睦まじさが自然に出ていたと捉えれば何も悪い事はないだろう。
ただ、私は映画を観に来たのだ。
決してドキュメンタリーを観に来たわけではない。
決してドキュメンタリーを観に来たわけではない。
特に蒼井優は、脇役であってもそのオーラが失われないという所が凄いところなのだと私は勝手に思っているのだが(前回見た「クワイエットルーム~」に然り)、今回は何故だろう。
蒼井優が出ているというのに、そしていつにもまして出演している時間は長いはずなのに・・あまりにも印象に残らないのだ。
蒼井優が出ているというのに、そしていつにもまして出演している時間は長いはずなのに・・あまりにも印象に残らないのだ。
それはいつもとは違い、動きが多い役だったからだろうか。
確かにえんちゃんのどうしようもない片思いの気持ちや、ユリに比べて子供っぽい一面などのやりきれなさなどは、共感する部分も多かった。
なのに、あまりにも印象が薄く思えたのは何故だろうか。
これは、映画の予告編で流れている曲を着うたフルでダウンロードしたつもりが、エンディング曲と間違えてしまったといううらみも(勝手ですが)込めつつ。
劇中歌として、ラジオから流れてきたり、登場人物が歌ったりと多用されているこの歌。
これがエンドロールで流れていたら、私の中でももう少し納得できたのに。
予告編を見て、BGMのあまりのよさに私は感動を覚えたので、てっきり主題歌なのだと思っていたのだ。
エンディング曲をけなすつもりもないが、それでもやっぱり残念だった。
エンディング曲をけなすつもりもないが、それでもやっぱり残念だった。
予告編の話が出た所で言ってしまうが、予告編のカットの切り取りは素晴らしい。
2時間半という無駄に長い映画を、あの予告編は見事に代弁してくれている。
2時間半という無駄に長い映画を、あの予告編は見事に代弁してくれている。
むしろ、あの短い時間で映画の内容全てを凝縮しているのだと言ってもいい。
少なくとも、あの予告編を観た時点では、期待が高まっていたのだから。
少なくとも、あの予告編を観た時点では、期待が高まっていたのだから。
原作共々、長い話ではないのだから、こんなに長い映画にしたのはどうなのか。
故にあれだけの長い間スクリーンを観ることになった観客が、ラストの呆気なさ・中途半端な感じに「え?」という印象を受けて後味悪く終わってしまうのは、とても残念としかいいようがない。
故にあれだけの長い間スクリーンを観ることになった観客が、ラストの呆気なさ・中途半端な感じに「え?」という印象を受けて後味悪く終わってしまうのは、とても残念としかいいようがない。
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彼女がいるらしい堂本が、実はひそかにえんちゃんに想いを寄せている、という映画の設定は最後の最後まで薄ぼんやりとしている。
このまま終わってしまうのかと思わせておいて、最後のえんちゃんと屋上に向かって話をしている堂本というシーンでついに覆されるのだ。
指を差しながら、説明をしている堂本。
説明を聞きながら無邪気に答えるえんちゃん。
説明を聞きながら無邪気に答えるえんちゃん。
いつもより少し近い距離。
と、堂本が指差している方向に目線を向けていたえんちゃんに、ふいに堂本がキスをする。
・・というシーンで、私はこのシーンを観るためだけにこの映画を観に来たのだと本気で思わされた。
今までほんの脇役に過ぎなかった「堂本」という存在を、最後の最後で観る側(というか私に)に突きつけられた。
さらりと、自然に。
さらりと、自然に。
みるめとユリの濃厚なキスシーンでは心踊らなかった私が、このえんちゃんと堂本の可愛いキスシーンで心をわし掴みにされてしまった。
いや、参った。
忍成君に脱帽。
そしてお洒落メガネ姿も最高だった(関係ない)
そしてお洒落メガネ姿も最高だった(関係ない)
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とまあ、これが私の辛辣な意見でありました。
森山未来も出るようなので、密かに楽しみにしています。
次は「L~Change the world」を観に行く予定です。