桜の季節。
新しい制服、初めての電車通学・・そして、これから始まる高校生活。
期待と、不安の入り混じった私の高校生活は、それはそれは期待に満ち溢れたものでございました。
入学式の日。
新しい制服とは言っても、中学時代もブレザーに赤ネクタイというダサイ制服だったのですが、高校の制服もネクタイがないだけで、ほぼ色も形も一緒という代わり映えのないものでした。
それでも、当時はやっていたルーズソックス(非常に控えめ)と、高校生が持つ肩かけバッグ、ローファー・・と全てが色鮮やかで、そして希望に満ち溢れていたあの頃。
電車に揺られて約1時間。
校門をくぐると、そこには高校という新しい生活が満ち満ちていました。
1年4組。
クラス割を見ると、中学時代の同級生は以前私の事が好きだったと言う噂のあった男子1人で、当然同じ学校の人はいませんでした。
そもそも、何故か私の学年の中学の同級生は、ほとんどが普通科へと進み、私の入学した商業科にはと言うと、実のところ同級生は5人程度しかいなかったのです。
それも、男3:女2(しかもそのうちの1人は私で、もう1人の子とは大して仲良くもないという)という極小な比率。
元々友達も少なかった私は、更に電車を乗り換えてまでこの高校に通う人間が意外と少ないこと・・
改めて知り合いのいない不安というものに襲われたのでした。
改めて知り合いのいない不安というものに襲われたのでした。
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「ここ、空いてる?」
入学式が始まる前、新入生はクラスごとにパイプ椅子に座ります。
隣が空席だったこともあって、同じクラスと思われる女の子が、突然私に話しかけてきました。
その子は顔立ちの整った、まさに女子高生の典型的な成功型タイプの長身の美少女でした。
「あ、うん」
私は微笑んでそう言いました。
入学式が終わり、教室へと移動する間に私はめくるめく高校生活に期待しました。
期待を込めて、その子と一緒に教室に移動しようかと思った時です。
「ねえねえ、何中?」
突然、長身でこれまた綺麗な顔立ちをしたクラスメイトと思われるNさん(その後3年間同じクラスになるとは思いもしませんでしたが・・・)が、割って入るようにその美少女に話かけました。
全くもって、私になど目もくれず。
私は取り残され、一人とぼとぼと教室に向かいます。
でも、苗字で考えるとその子は私の前なのです。
席が近ければ、きっと仲良くなれるはず。
席が近ければ、きっと仲良くなれるはず。
私は期待をしました。
しかし・・
廊下側、一番前の席が私の席でした。
美少女は、というと、左隣の列の丁度一番後ろの席だったのです。
美少女は、というと、左隣の列の丁度一番後ろの席だったのです。
そう、タイミングの悪いところで、私と美少女は席が完全に離れてしまったのでした。
周囲を見渡せば、同じ中学の友達なのか皆、誰かしらと喋ったりしています。
私は、一人でした。
高校生活、一体どうなってしまうのだろう・・
高校生活、一体どうなってしまうのだろう・・
期待は、不安で押しつぶされてしまいました。
そして、入学して2、3日。
私はお腹を壊し(過敏性腸は活発)、食欲を失っておりました。
私はお腹を壊し(過敏性腸は活発)、食欲を失っておりました。
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それでも、奇跡は起こるものです。
入学して数日。
一人でいた私を見かねたのでしょう。
一人の長身の女の子が、私に話しかけてきました。
一人の長身の女の子が、私に話しかけてきました。
「一緒に体育館に行こう」
私は動揺しつつも、とても嬉しく笑顔で「うん」と言ったのでした。
その女の子は、Eちゃんと行って不思議なあだ名をつけるのが得意な子でした。
私は中学の頃、なんて呼ばれていたの?という質問に答えたのだけれど(で、そのあだ名は結構気に入っていたのだけれど)敢え無く却下され、私には「かっちゃん」というあだ名がつけられました。
私は中学の頃、なんて呼ばれていたの?という質問に答えたのだけれど(で、そのあだ名は結構気に入っていたのだけれど)敢え無く却下され、私には「かっちゃん」というあだ名がつけられました。
すると、そのEちゃんには同じ中学の友達のIちゃん、別の中学であるM子という友達がいて、必然的に私はそのグループに属することになったのです。
色白で可愛く、頭も良くて運動も出来て、少し子悪魔的な魅力を持ったIちゃん。
面倒見が良くて明るくて、長身のEちゃん。
そして、M子が私の音楽好きな高校生にしてくれたきっかけの女の子だったのです。
面倒見が良くて明るくて、長身のEちゃん。
そして、M子が私の音楽好きな高校生にしてくれたきっかけの女の子だったのです。
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きっかけは、トライセラトップス
M子は学区外(隣県なのだが、県境の高校だった為自転車で通える距離)だったので、時々駅の方向に向かって私を自転車の後ろに乗せて、駅まで送ってくれました。
私は駅から15分程の距離を学校まで歩いていたので、いつもながら色々な子に自転車で送ってもらったりもしたわけです。
ほんと、皆ありがとうって感じですよ。
その帰り道、M子と色々な場所に行きました。
田舎の高校なので、○ティとか○トー○ーカ堂とか、小さな古本屋とかCD屋とか、そういう店しかなかったのです。
私達は、よく古本屋と中古CD屋に行っていたのですが、そんなときのことです。
私は中学3年の春休み。
卒業して、高校入学を待つばかりの時のことですが、GRAPEVINEのスロウのCDを買ったのです。
卒業して、高校入学を待つばかりの時のことですが、GRAPEVINEのスロウのCDを買ったのです。
きっかけは、トライセラトップスのFEVERという曲から音楽好きの世界に入門し、次にバインを知り、音楽好きの道を歩ことになったのです。
何のきっかけだかは忘れてしまったけれど、そのCDを見ている時にトライセラの話になったのです。
「私、トライセラのアルバム持ってるよ」
お互いにCDを貸し借りしたり、お互いが発掘してきたCDを聴くようになったのです。
それはCDだけではなく、漫画も然り。
それはCDだけではなく、漫画も然り。
音楽が、私たちの距離を一気に縮めてくれました。
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そして、その頃。
身体測定やらがあったのですが、私達のグループの他の3人は、名前の順では前の方だった為、一人で突っ立って並んで待っていました。
その時です。
出席番号がほぼ後方の3人の女の子が、私に話しかけてきました。
それがSさん(時々コメントくれてありがとう)、M、Aちゃん。
非常に明るいSさんと、Mは昔から顔なじみでとにかく面白い。積極的に話かけられて、私は少々驚いていました。
そして、鋭いツッコミをするAちゃん。
なかなかに美人な子です。
そして、鋭いツッコミをするAちゃん。
なかなかに美人な子です。
Aちゃんは中学は二人と別だったようなのですが、二人が話しかけて友達になったのだと言います。
そして、私はこの3人とも友達になり、またその他に別のグループだった4人の友達も出来たのでした。
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私は、少しずつ皆と打ち解け始め、お昼を皆で一緒に食べたり、放課後写真を撮ったり、土曜の学校が終わった後やテストの後などに色々な所に遊びに行ったりしました。
そして、私がマニアックな音楽好きという話は少しずつ浸透していき、更に私はバインの亀井さんが好きだったので、若干15歳にして亀井さんかっこいいなどと言いふらしていた所、私=亀井さんという図式が出来上がっていたのでした。
多分全国の女子高生の中で、私達のグループ内でバインの知名度が圧倒的に高かったのは、私の布教活動のお陰だと、未だに思っております(笑)
ちなみにこれはまだ、私が学校が楽しいと思えた頃の数少ないお話です。
(続く)