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ら抜き言葉殺人事件 吉敷竹史シリーズ⑬

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ピアノと日本語を教えている笹森恭子が、自宅のベランダで首吊り自殺をした。部屋には、ある作家に誤りを指摘した手紙に対する返信が残されていた。警視庁捜査一課の吉敷竹史は、現場に不審を抱き、殺人説を唱える。そんな時、またもや自殺者が。しかも、恭子に来ていたのと同じ作家からの葉書が…。


島田荘司さんの「吉敷竹史シリーズ」です。
 
ら抜き言葉・・・実は私、小学生の頃でしょうか。
このら抜き言葉がどうしても許せなくて、友達がら抜きを使う度に、わざわざ言いなおして相槌を打っていた事があります。
 
「来れる?」「来られるよ」
「見れる?」「見られるよ」
 
というような、凄く地道な努力をしていたなあ。
最終的には、今でも絶対使いたくない「食べれる」だけは使わないまま生きて来ましたが、その他の見れる、来れるなどは、面倒になって使ってしまいます。
 
救いがないのが、良い年下おっさん、おばさんも平気でら抜き言葉を使っているということでしょうか。
 
このままいったら、ら抜き言葉が普通、という風に定着してしまうのかなあ。
 
本書の中にも指摘があった、ら抜き以外の言葉の抜け。
会社でそこそこ良い歳の子が、なんでしょう、接続詞を抜かして入力したりとか話たりするんですね。
それが非常にどうかと思ってしまうのです。
 
「ご住所ちょうだいしてよろしいですか?」とか。「を」がないんですね。
しかもそういった言葉遣いをしている人が、一人二人ではなくて、ほとんどの子、というのだから、日本語も乱れたものです。
 
かくいう私も、そういった何かが抜けている言葉や略語などを使ってしまっているし、人の事は言えませんし。
改めて考えさせられてしまいましたね。
 
ら抜き言葉殺人事件」と銘打っているものの、真相はちょっと題名とはずれてしまっているのが残念かな。
それでも、なかなか面白く読めたので良かったです。
(4点)