球体の蛇
1992年秋。17歳だった私・友彦は両親の離婚により、隣の橋塚家に居候していた。主人の乙太郎さんと娘のナオ。奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。どこか冷たくて強いサヨに私は小さい頃から憧れていた。そして、彼女が死んだ本当の理由も、誰にも言えずに胸に仕舞い込んだままでいる。乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会う。彼女に強く惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになるのだが…。呑み込んだ嘘は、一生吐き出すことは出来ない―。
道尾秀介さんの本です。
今回も直木賞候補になった作品であるということも忘れて、ドキドキしながら読みました。
道尾さん初の、恋愛小説なのだそうです。
そういう頭で読んでいなかったというのもあるけど、一筋縄ではいかない恋愛小説、といった感じでしょうか。
ミステリと言われればそうだと信じてしまいそうな、何となく複雑に絡み合った人間関係。
何かがありそうでそれについては詳しく触れられない登場人物達の過去。
そして、結局は真相が明かされないまま迎える結末――
何かがありそうでそれについては詳しく触れられない登場人物達の過去。
そして、結局は真相が明かされないまま迎える結末――
今まで読んできた道尾作品の、例えば「向日葵の咲かない夏」のように後味の悪いという、とてもインパクトの残る作品であるとか、例えば「ラットマン」や「龍神の雨」のように、どんでん返しに驚かされてしまうだとか。
そういった何かを求めて読んでしまったら、勿体ない気がする。
一度読んでみて味わうこの読後感。
虚無感?
虚無感?
分からない。この感情を言葉にすることは、何故だかとても難しいと思う。
だけど、もう一度読み直してみたいとも思う。
なんだろう?
多分、一回読んだだけではこの作品の良さは分からないのではないか?
多分、一回読んだだけではこの作品の良さは分からないのではないか?
じわじわと、余韻に満たされている自分を感じながら(読み終わって数時間経つというのに!)、だけどそれを心地良いとも思う。
登場人物達の過去が、ある部分で繋がっていたりする偶然は少し気になったけれど、とても良い作品だと思った。
直木賞や何かの賞を、それがとても大好きな作家だった場合に「この作品では取って欲しくないかも・・・」と思うような作品がノミネートされる事って、結構多い気がする。
そして、そういう作品に限って何故か選考委員の評価を得て受賞してしまったりすることも。
私が道尾さんや辻村さんに直木賞を取って欲しくないと思ってしまうのは、やっぱり自分だけが知ってるんだよ、皆こんな凄い作家を知らないの?って優越感を抱いていたいとか、独占欲のようなものなのだ。
だけど、この作品で直木賞・・・それも悪くないかもって思った。
それは、実はちょっとだけ寂しいけれど。