No-music.No-life

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スタート・ライン③-1

(5)
 母親から届いた手紙には、一通の往復葉書が入っていた。高校のクラス会のお知らせらしい。東京に出てきて、何度かこの手の知らせは届いていたけれど、私は一度も参加した事がなかった。だけど何故だろう、今回は行ってみようかなと思ったのは。ただの気まぐれなのかもしれないし、理由なんてないのかもしれない。だけど、私は多分迷っていたのだ。約束の期限が近付いていた事。そしてあの頃と何一つ変わっていないという現状に。

 金曜日。仕事が終わった後、そのまま実家に帰るためにいつもとは反対方向の電車に乗り込む。何度かの乗り換えの後、約二時間かけて実家へと辿り着く。心なしか、地元の方が少しだけ空気がひんやりしている気がする。九時も過ぎれば、きちんと夜の闇が街を覆って、明かりも少なくなる。二十四時間眠らない街である東京とは大違いだ。
「ただいま」
 実家に帰り着き、迎えてくれた両親を見て、私は一瞬言葉を失う。三年ぶりくらいに見る両親は、いつの間にか記憶にあるものよりも老け込んで見えた。父の頭は大分薄くなり、母親の一つに束ねた髪にも白いものが目立つ。それに――二人とも、こんなに小さかっただろうか。こんなにも顔に皺が目立っていただろうか。
東京に出てから、地元に帰ってくる機会が減った。それでも二十五歳くらいまでは、毎年お盆と年末年始、ゴールデンウイークの長期休暇の時には必ず帰省していたのに、何だかんだと理由をつけては帰らないままでいたのだ。それは、年齢を重ねると共に、田舎では結婚適齢期になる事、それと同時に両親から結婚はまだか、将来はどうするんだと口うるさく言われる事に嫌気が差していたからだった。
「お帰りなさい。疲れたでしょう?」
「……ううん。大丈夫。それより、お腹減っちゃったからご飯食べたいな」
 私は両親からさりげなく目を逸らし、リビングへと向かう。両親は久しぶりに帰ってきた娘の顔を見て、とても嬉しかったのだろう。ニコニコと笑みを浮かべていた。私は何故かそれを見ていられなくなって、避けるようにその場を後にする。

「そうそう。この前手紙に書いたけど、これ」
 ご飯を食べ終わり、ついていたテレビをぼんやりと見つめていた時だった。田舎とはいえ、北関東に位置しているこの場所では、東京と同じチャンネルでテレビを見る事が出来る。テレビには、最近よく見かけるお笑い芸人がネタを披露していた。わざとらしい程の笑い声が響いている。
「何?」
 私はテレビから母親に視線を向けた。そして、絶句する。母親が持っていたのは、何かの写真だった。
「あれよあれ。お見合い写真。きちんとした写真じゃないんだけどね、和歌子もいきなりそういう写真を持ってこられたら、構えちゃうでしょ? それに、相手は和歌子も知ってる人だから」
 お見合い写真ではない、本当に軽い感じのただのスナップ写真。そこに写っている男の顔を見て、私は思わず顔をしかめた。何の冗談なんだ、これは。
「芳信君。懐かしいでしょう? まだね、結婚してないんだって。今は河合物流で主任をしているらしいわよ。あんな大きな会社で、凄いわよね」
 母が言ったその物流会社は、私の地元の人間であれば知らない人はいないと言われる程度には有名な会社だった。だけど、東京ではそんな名前を聞く事はない。狭い世界。田舎に存在する、その小さな王国。私はその世界に絶対に入りたくなかった。少し都会に出てしまえば、通用しない肩書き。小さな狭い世界に君臨する王様は、その世界だけしか知らないし、その世界を出ようとはしない。自分が、本当はちっぽけな人間だって気付いてしまうから。何の力もない、ただの人間だという事に、気付きたくないから。
 それよりも――芳信だ。何を隠そう、この芳信と私は高校の頃から大学の時まで長い間付き合っていた間柄だ。私が初めて付き合った男でもある。東京の隣の県にある大学に二時間をかけて通っていた私は、田舎に住み地元の大学に進学した芳信に、少しずつ飽き始めていた。芳信は優しくて良い彼氏ではあったけれど、彼はこの狭い世界の住人だった。大学の友人達が当然知っているような物事を――例えば最近オープンしたあの店の何が美味しいとか、隠れた名店があるとか、こんな音楽が最近注目されているだとか――芳信は知らなかった。私のいる世界と、彼の世界は違っていたのだ。私が当然のように立っていた場所に、彼はいなかった。彼の世界は、この小さな田舎町が全てだった。だから私は少しずつ、彼から興味を失っていった。結果、私は彼と別れて、そしてそんな時、音ちゃんに出会ったのだ。
「お母さん……芳信とは昔、付き合ってたのを知ってるよね? 今は別れてるし、連絡だって取ってないよ? なのに、いきなりお見合いって。それに、芳信だって迷惑に決まってるよ」
 最後の台詞は、ただの社交辞令だ。私にはお見合いする気なんて更々なかったから、これは相手だって迷惑だろうから、だから私も迷惑だよという事を伝えようとしただけなのだ。しかし母は、しっかりとその言葉をすくいとる。
「あら、芳信君、満更でもないみたいよ。芳信君にはやっぱり沢山お見合いのお話が来てるみたいだけど、それも全部断って、和歌子を選んだみたいなんだから」
 そこまで言われて、私は返す言葉を失った。確かに、私から別れを切り出した。だけどとっくの昔に別れた女と――お見合いしたいなんていう奇特な男が存在するとは。



(5)が分割されてしまってます・・。③-2に続く・・