恋人・降一を事故で亡くした志保。彼の母親が営む店を手伝う彼女の前に現れたのは、その事故の原因をつくった五十嵐だった。彼の存在を受け入れられない志保だったが、同じ悲しみを抱える者同士、少しずつ二人の距離が近づいていく…。「君が降る日」他、二編収録。
今回は、表題作君が降る日の中篇と、冬の動物園、野ばらの短編の3つの物語が収録されています。
ああ、やっぱり島本さんの作品は大好きです。
常々アンハッピーエンドの話ばかりだから、一瞬ああいいなあと安心したところで、突然期待を裏切られる展開になることが多いので、いつ何処で壊れてしまうのだろうとハラハラしながら読んでいました。
常々アンハッピーエンドの話ばかりだから、一瞬ああいいなあと安心したところで、突然期待を裏切られる展開になることが多いので、いつ何処で壊れてしまうのだろうとハラハラしながら読んでいました。
君が降る日は、やっぱりアンハッピーエンドでしたが・・・この危ういバランスの上で成り立っている関係の儚さが、本当に繊細に丁寧に描かれていて素敵でした。
そして一番意外で、後に一番印象に残ったのが野ばら。
男女の友情がテーマなのかと思いきや、あのラスト――深いです。
私は男女間の友情を信じていない人間ですが、それはどちらかが恋愛感情を抱いてしまうことによって、「友情」という枠から外れてしまうからです。
どちらかは「友情」を続けたいと思っても、片方が「恋愛」対象として捉えてしまった瞬間に悲しいけれどこの関係は壊れてしまう。
どちらかは「友情」を続けたいと思っても、片方が「恋愛」対象として捉えてしまった瞬間に悲しいけれどこの関係は壊れてしまう。
女の子が男の子を好きになってしまった場合、何かしら気持ちをぶつけるなりなんなりすると思うのですが、男の子が女の子を好きになってしまった場合って、密かに思っているだけで気持ちを伝えないことって多い気がしません?気のせいですか?
この話がまさにそうで、
だけどこの男の子はちゃんと別に恋愛対象として見ている女の子もいて、だけど「友達」という存在として主人公がいる。
だけどこの男の子はちゃんと別に恋愛対象として見ている女の子もいて、だけど「友達」という存在として主人公がいる。
この恋でもなく、友情でもなく、っていう淡い境界線というか関係がすれすれに描かれていて、何だかとてもいとおしいような気持ちになりました。
島本さんの本を読むと、豊島さんと同じく小説を書きたくなります。
どの作品も確かな満足感と切ない余韻を残すものでした。
満足です!
満足です!