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たった一つの願い(2)

「毒田先輩、って高崎君は知ってる?」
 私はコーヒーを一口飲み、カップを置く。さっき口につけようとして止めたコーヒーカップを、彼は再度口元に運んだ。今度は飲めたようだ。喉がコクリと動いた。
「……というより、知らない人なんているのかな? この大学で」
 高崎君は綺麗な顔をほころばせて笑った。その答えは、知っているという事に違いなかった。
「……そうだね、いるわけないかも」
 小さく笑う。
「――まさか自分より、綺麗な女がいるとは思わなかった?」
 浮かべていた笑みが、思わず引っ込んだ。目の前の彼を凝視してしまう。
「そうは思わない? いや、思っているでしょう? だって俺も、生まれてこの方自分より綺麗な顔立ちをした男を見た事がないから。木戸さんだって、今までずっと、そうだったでしょう? 自分が一番可愛くて、異性からももてて、それを自覚して生きてきた――違う?」
 さっきまで笑っていたはずの高崎君は、まるで私を嘲笑するような口調で言った。何だ? この男は。
「木戸さんの好きな人って、昭島先輩だろ?」
「な、何で……?」
「分かるよ、それくらい。だって大抵の男だったら、木戸さんみたいな可愛い女の子から告白を受けて断る奴なんていないだろ? もし断るような男は、例えば誰か別に好きな人がいるか、それとも――」
 息を呑み、その言葉の続きを待つ。高崎君ははっきりとした口調で言い切った。
「木戸さん以上の美人な彼女がいるか。……だとしたらそれは毒田先輩以外には考えられない。どう? 当たってる?」
 コイツは一体何なんだ? 私をからかって、一体何が楽しいというのだろうか? 
「……悪いけど、私、忙しいから。帰る!」
「あ、そう。……せっかく協力してあげようと思ったのに」
 勢い良く立ち上がり、バッグを手にした私は、不覚にもその言葉に反応してしまった。私としたことが、うっかりその場で足を止めてしまう。
高崎君は、頬杖をついたまま、上目遣いで私を見ている。その仕草まで綺麗なのが癪だ――その時初めて、同性の子から私がどう見られているのかが分かった気がした。
「何? 何なの? あんた、一体何がしたいの? 目的は何?」
「だからさ、木戸さんの恋に協力してあげようかと思ってるんだって」
「はあー? 何で?」
 猫を被っていた私は、もはや本性を剥き出しのままで素っ頓狂な声をあげた。もうどうなっても構いやしない。
「だからさ、俺にとっても一緒なんだって。俺以上に整った顔立ちをした男はいない。例えそれが、あの昭島先輩だとしてもさ。言っちゃ悪いけど、顔は俺の方が数倍いいと思うよ。昭島先輩は常識的に考えたら大分男前の域に入るけど、俺と比べたらそもそも根本的に違ってる」
「ちょ……あんたねぇ! 曲がりなりにも私の好きな人の事、そんな風に言わないでよ! 何でそんな事言われなくちゃなんないの!」
「だからさ、俺が毒田先輩に告白して、それでもし毒田先輩がOKしたとしたら、昭島先輩の事は大して好きじゃなかったって事だ。それと同時に、フリーになった昭島先輩に、今度は木戸さんが告白するなり何なりすればいい。逆に、俺が告白しても成功しなかったら――よっぽど昭島先輩の事が好きなんだってこと。そうしたら、もう諦めた方がいいんじゃない? せっかくそんなに可愛いんだからさ、一人の男に固執してるなんて勿体無いよ」
「な……! 何であんたにそんな事言われなくちゃいけないわけ!」
 肩を震わせながら、一目もはばからず叫んだ私に相変わらず飄々とした態度で彼は言った。
「そ。こんなチャンス、二度とないだろうにねえ。まあ嫌ならいいけど」
 私から目を逸らした彼は、コーヒーを一口飲んだ。憎らしい程に綺麗な動作で。
「……それなら! 協力してもらおうじゃないの!」
 結局私は、その提案に乗ってしまった。興奮する私とは裏腹に、彼はニンマリと不適な笑いを浮かべた。
 綺麗な顔をしているくせに腹黒いこの男の毒牙に、私がまんまと引っかかってしまったのは言うまでもない。

「あれ? もしかして美琴か?」
 懐かしい声が私を呼ぶ。瞬間的に、私はその相手が誰かを悟り、自然と笑顔になってしまう。
「修君!」
 満面の笑顔で振り返る――と、そこにはずっと追いかけ続けてきた修君と、思わず私でも見惚れてしまうほどに綺麗な毒田先輩が立っていた――私の笑顔は、ぎこちなく固まる。
「それにしても久しぶりだなー。美琴が同じ大学受けるって親から聞いてたけど、無事に入学したんだな。おめでとう」
 修君は、私のぎこちない笑顔に気付かないのか、昔から変わらない大きな手で、私の頭をポンッと叩いた。その仕草が懐かしくて、照れくさくて、私は俯いてしまった。
「それにしても……」修君が、しみじみとした口調で言った。
「お前、随分綺麗になったな。びっくりした」
 その一言で、反射的に顔を上げる。そこには、ずっと焦がれてきた笑顔があった。だけど――
「本当に、可愛い子だね。昭島君にこんな可愛い『知り合い』がいたなんて」
 まるで花が咲くように、柔らかな笑みを浮かべた毒田先輩が私を見る。――ああ、声まで綺麗だ。透き通る、とても綺麗な声。
「ああ、ガキの頃からの腐れ縁なんだ」
 修君は笑んで、毒田先輩に私との関係を打ち明けた。その紹介を受けて、今度は毒田先輩が改めて私に向かって自己紹介をしてきた――大きな目、色白の肌、長い手足、綺麗な栗色の髪――そして、ふわりと香る甘い香り。
「初めまして、私、毒田です」
「あ、こちらこそ。初めまして。木戸美琴と言います」
 自分以外に、こんなに完璧な容姿をした人間が存在した――そして、その人と修君が付き合っている――重い現実が私に突き刺さって、目の前の彼女を直視する事が出来ない。
「修君、こんな綺麗な彼女がいたら、周りの人に嫉まれて大変なんじゃないの?」
 毒田先輩から目を逸らしながら、私は修君に対して軽口を叩いた。
「……まあな。正直、俺は毒田さんと釣り合っているとは思ってないけどな」
 修君は苦笑して、再び私の頭をポンッと叩く。
釣り合っていないと思うのなら……いっそ別れてくれたら良かったのに! なんて事は口が裂けても言える訳がない。正直、毒田先輩に会ったら、文句の一つでも言ってやろうと思っていた。だけど、ああ、ここまで完璧な人が……よりにもよって、修君の彼女だなんて!
 ふいに涙が溢れそうになって、咄嗟に俯く。その様子に、不思議に思ったのか毒田先輩が心配を含ませた声で、声をかけてくる。
「木戸さん? ……どうかした? 具合でも悪いの?」
 ああ、なんでこの人はこんなに優しいんだろう。せめて性格が悪かったら少しは勝算だってあったかもしれないのに。
「いえ、あの、なんでもないです。じゃあ私、次授業があるので!」
 不自然とも思える動作でくるりと向きを変え、その場から逃げ去った。――ああ、悔しい。綺麗になったと言われても、全然意味がない。私はただ、修君に振り向いてもらいたいだけなのに。ただ一つ、それだけを望んでいるというのに。どうして叶わないんだろう。どうして本当に好きな人には振り向いてもらえないんだろう。
 溢れる涙を抑える事もせず、脇目も振らずに全速力で構内を走り続けた。

「高崎君、この前の話だけど」
 授業が終わり、教室内で男子数人と楽しそうに話していた高崎君に近づき、低く声をかけた。瞬間、周囲の男子の視線が私に釘付けになったのが分かった。気にせず言った。
「私、もう諦めたから。協力はいらない」
 冷たく言い放ち、足早に教室を去る。背後に、ざわつく教室の雑音と「おい、高崎何だよ? この前の話って!」と質問攻めにあっている高崎君の気配を感じたけれど、私は無視してスタスタと歩いていった。
「おいっ! 木戸さん! ちょっと待って!」
 突然、腕を掴まれる。いつの間に私を追いかけてきていたのだろうか、何も考えずに教室を出てきたせいか、全く気配を感じる事が出来なかった自分に、内心で舌打ちをした。
「何? もうあんたとの協定は破綻したんだから、気安く話しかけないでよ」
「っていうか、全然事情が分からないんですけど。この前協力するって言って何日も経ってないのに、どうして……」
 困惑した表情を浮かべる彼の掴んでいた腕を振り払う。怒りがふつふつとわいてくる。
「あんたには関係ないでしょう! っていうかねえ! いくら可愛い私だって、毒田先輩には適うわけがないじゃん! 私は修君の事、もうずっとずっと前から好きだったけど、相手があんな完璧な人だったら、出る幕なんてないじゃん! それにあんた言ったでしょ? 一人の男に固執してるなんて勿体無いって! だから諦める事にしたの! 悪い?」
 周囲の目も、猫を被っていた事も、もう何も気にならない。私は抑えきれない気持ちを、全て目の前の男にぶつけた――少し、すっきりした。
「……全然悪くないし、俺にとっては好都合だな」
「は?」
 高崎君は、例のニヤリとした笑いを浮かべた。憎らしい程に完璧な綺麗さを保ったままで。
「それに俺、関係なくないんだよね。言ったでしょ? 俺も木戸さんと同志だって。自分は好きだけど、絶対に振り向いてもらえない相手がいるって」
 私は訳も分からず、目をぱちくりさせた。相変わらず、目の前の彼は不適な笑みを浮かべたまま、さらりと言った。
「気付いてなかった? その相手って、木戸さんの事なんだけど」
「……なっ!」
 何それ! という驚きと、混乱が一気に押し寄せてきて、私はパニックに陥る。はあ? 何でいきなりその展開?
「ここに入学してきて、初めて木戸さんを見た時は運命を感じたなあ。だって、俺に釣り合う女と、今まで会った事がなかったから。何しろ、俺、こんな綺麗な顔でしょう? なら付き合う相手は、飛びぬけて可愛くないと」
 まるで魚が口を開けるかのように、パクパクとさせながら、私は声にならない声をあげる。見た目は好青年風の美少年にしか見えないこの男の本性――
「しかも、話してみたら、ただの可愛いだけの女じゃない。まさに俺の理想だなって思ったね」
 何だこの男の強引さは! 私はただわなわなと肩を震わせるばかりで声を出す事が出来ない。
「じゃあ、とりあえず……ゆっくりと失恋の傷を癒していこうか? 失恋には新しい恋って言うでしょう?」
 立ち尽くす私の手を取り、何処に向かうのか私達は並んで歩いていく。
「ちょっと! あんた! 手離せ! 馬鹿!」
「おお怖い怖い。でもその顔と性格のギャップがいいんだけど」
 ニヤリとした笑いを浮かべた男――しかもそれが完璧に綺麗な表情だ――は、私の事などお構いなしにどんどん私を引っ張って行く。
 私は「離せ!」「馬鹿!」などという罵詈雑言を浴びせながらも、結局はなされるがままだった。

 ……そしてその数ヵ月後、不覚にも私は、この男と付き合う事になってしまうのだから、もうこれは、完全にこの男の罠にはまってしまったのだ――としか、言いようがないのだ。