No-music.No-life

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遠くの君へ(2)

 そうして、翌年無事に大学に入学した私はと言うと、しかし音楽サークルに入る事はしなかった。私には入りたいと思っていたサークルがあったので、結局そっちのサークルに入ってしまったのだ。
 それでも先輩からライブをやるという話を聞くと、私は心細い気持ちながらもライブに足を運んだ。そしてその度に、私はあの綺麗な彼女の姿を見かけるのだった。
 先輩達のバンドは、着実にライブをこなしながらも観客数を増やしているのが分かった。
初めて行ったライブでは、観客の数も驚く程少なかった。けれど、私が見た限りでもライブハウスを訪れる観客の数はどんどん増えているようだった。
 学園祭でのステージは大成功を収め、大学構内でもその名を知らない者はいなくなっていった。
 彼らのインディーズ盤でのCDリリースが決まり、先輩がバンドを脱退したのはその頃のことだった。
そして、あの城山さんも就職が決まっていた事を理由に、大学卒業までという期限付きで活動をすることに決めたというのだ。
 突然のバンド内での動きに、傍観者の立場だった私は戸惑った。先輩はバンド内恋愛を理由に、城山さんは就職を理由にしてそれぞれが別々の道を歩むと決めたのだという。
 その後、城山さん達が無事に大学を卒業すると、本格的にバンド活動を開始した残りのメンバーと新たなメンバー達が活躍し、着実に人気と知名度を上げていった。
 それから五年。メジャーデビュー後、ようやくこの大きなステージでライブを出来るという所まで彼らは辿り着いたのだ。
 だから思う。先輩も、城山さんも……もしあの時バンドを辞めずに今でも続けていたとしたら。
 沢山のファンに囲まれ、大きなステージで演奏をするというのは、どんな気持ちなのだろう。私はあのステージに立つ事はないし、多分一生かかってもそんな気持ちを知る術はないだろう。
 私は遠くに見えるステージを見る。開演まで、あと十分を切った所だった。

 先輩がバンドを辞めるという理由を聞いた時、どうしてバンド内恋愛が駄目なのかと思った。その疑問がそのまま表情に表れてしまったらしい――私の顔を見ると、先輩は笑って言ったのだ。
「城山さんがね、昔バンド内で付き合っている人がいて、ゴタゴタがあったらしいよ。だから、うちのバンドはバンド内恋愛禁止だったんだよ。だから私は、辞めたの」
 そうして小さく笑った先輩は、とても大人びて見えた。それから、先輩があの円谷さんに片思いをしていたことを告げたのだ。
 それよりも私は、先輩のその言葉にしばし固まってしまった。その頃、いつの間にか城山さんの事を好きになってしまっていた私は、片思いというやつに翻弄されていたのだ。
 何度もライブに足を運ぶのも、さして興味のない音楽を聴いてみたりするのも、城山さんに近づきたいという一心だったし、そんな努力が楽しかった。
けれど、城山さんの昔付き合っていた彼女は、一体どういう人だったのだろう。
 しかし、その機会は案外すぐにやってきた。
先輩が脱退した後も、大学卒業までの間に城山さんはライブをこなしていた。既にその頃にはインディーズ盤のCDを出したりと精力的に活動をしていたから、大学だけではなくて、ライブハウスの中でも少しずつ知名度が上がってきていたようだった。
 その話を聞きつけたのか、城山さんの元カノがライブにやってきたのだ。
そして私は、その姿を見て絶句した。それはそれは、とても綺麗な人だったからだ。

「久しぶり。CD出したんだって? 順調じゃん」
 すらりと背の高いモデルのように細い彼女は、ふわりとパーマのかかった髪の毛をかきあげながら、城山さんに近づいていった。
「ああ、来てたんだ。バンドは順調だけど、俺は卒業したらバンド辞めるから」
「そうなの? 勿体無い。城山、ギター上手いのに」
 大袈裟に驚いたような仕草をして、彼女は頸をすくめた。城山さんは先程から表情を緩める事がない。
 どうやら、警戒しているようだ。よっぽど別れる時に何か理由があったのかもしれない。
でも、それより――長身の城山さんと彼女の、絵に描いたような完璧さは何だろう。
 あの綺麗な彼女といい、城山さんの元カノといい、世の中にはこんなにも綺麗な人間が存在している。それなのに私は何だろう。酷く惨めな気持ちになって、あの時は慌ててその場を後にしたのだった。
 だから、そんな元カノと先日バッタリ会ったと聞かされた時、内心の動揺を悟られまいとするのに大変だった。
何の因果か無事に大学を卒業して就職をした私が、今こうして城山さんと付き合っているという事実は、奇跡としか言いようがない。
「……後悔、はしてないな。正直なところ。何ていうか、俺は本気でメジャーを目指してバンドを組んでた訳じゃなかったし。小さいライブハウスでも、楽器が弾けるっていうだけで俺は充分楽しかったんだよ。だからまさか、あいつらがこんなにでかいステージでライブをやるようになるとは思ってなかったな」
 城山さんは、口元に微かに笑みを浮かべながらステージを見つめている。
「……安心しました。私は、正直言うと城山さんがバンドを続けてなくて良かったって思います。失礼かもしれないけど、こんなに沢山のファンに囲まれて、あんな大きなステージで演奏している姿を、多分私は直視できなかったと思うから」
 私の言葉に、おや? という顔をした城山さんがこちらを見た。切れ長の目と、つりあがり気味の目は相変わらずだけれど、不思議と優しい眼差しであることが感じられて、私は言葉を続けた。
「気付いてました? 円谷さんの知り合いだっていう、あの綺麗な人」
「ああ、毒田さん?」
 私はその人の名前を、その時初めて知った事とその強烈な名前に驚いて一瞬言葉に詰まった。それでもステージを見つめながら、再び口を開いた。
「あの人、ずっと前からライブに来ていたんですよ。多分、円谷さんが気付かないように、そっと。だけど、必ず毎回ちゃんとライブを見に来てた。いや、『見て』はいなかったのかな。目線はステージの方にあるのに、いつも険しい表情をしてたから。目をそらしたくないのに、逸らさずにはいられないような、そんな表情で」
 城山さんは何も言わず、私の言葉を聞きいっている。
「私、分かる気がするんです。あの人の気持ちが。何故か、ステージに知っている人の姿があると、目をそむけたくなるようなあの感じが。それが、尚更自分にとって大切な人だったら、私は絶対その人を直視できない」
 私は唇を引き結び、何故か急激に泣き出したいような気持ちに襲われて俯く。
どうしてこんな風に思うのか、と人が聞いたら疑問に思われるような理由であるのに、城山さんはそれ以上深くは聞いてこなかった。
 代わりに、頭をポンポンと叩く大きな手の感触が伝わってきて、「ああ私は、やっぱりこの人が好きなのだ」と強く思った。
 流れ続けていた音楽がやむ。会場が一段とざわめき始め、座席に座っていた観客が立ち上がったのをきっかけに、私達も立ち上がる。場内が暗転し、袖からそれぞれのメンバーが出てきて楽器を手にする――

 この大きなステージを、きっとこの会場にも足を運んでいるはずの彼女はどんな気持ちで見つめているのだろう。同級生という立場だった人が、今ではこんな大きなステージに立って観客の拍手を集めているのだ。ましてそれが、自分にとって大切な人だったのなら――
私は、あの大きくて強い意思を持った瞳の微かな陰りを思い出す。彼女は今、ステージの上に立つ彼から目を逸らさずにいられているのだろうか?
 ステージに眩しい程の光が灯り、私は隣にいる彼の手をぎゅっと握った。
 遠い遠い存在になってしまった彼への想い。彼女のその想いが、報われる事を私はただただ祈り続ける。