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ちーちゃんは悠久の向こう

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「ちーちゃんこと歌島千草は僕の家のごくごく近所に住んでいる」―幽霊好きの幼馴染・ちーちゃんに振り回されながらも、「僕」の平穏な日常はいつまでも続くはずだった。続くと思っていた―あの瞬間までは。怪異事件を境に、ちーちゃんの生活は一八〇度転換し、押さえ込んでいた僕の生活の中の不穏まで堰を切って溢れ始める…。疑いもしなかった「変わるはずがない日常」が音を立てて崩れ落ちていくさま、それをただ見続けるしかない恐怖を描いた、新感覚のジュブナイル・ホラー

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日日日(あきら)さんの本です。

先日映画を観たのですが、原作本も読んでみました。

とりあえず・・私は「う~ん」という感じでしたね。

なんつうか、なんていうかねえ・・。

最後の解説の乙一氏にも似ているかもしれないという発言が私的に気に食わなかったです(ファンの方すいません)

なんだろ・・

確かに若いし、勢いもあるし、デビュー作だし、私より年下だし(←関係ない)。

悪くないのかもしれない、けど・・どうなの?という感じなんです。


オチがしっくりこない、設定が重い(両親から虐待を受けているなど)割には変にあっけらかんとしている、部活の描写がほとんどなくリアルさがない、脇役が脇役止まりになっている、結局ちーちゃんの存在がはっきりとしていない・・

言い出したらキリがないけれど、何だろう。
読み終わってもずっとしっくりこない感じでした。

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(ネタバレですが)

映画とは大分設定が違います。

まず、原作では主人公が虐待されている(という割に、妙にあっけらかんとしている主人公に違和感が)

あとこのイメージでは林君ではかっこよすぎる(でも映画で林君が出ていなかったら観なかったと思う)。

ちーちゃんが死んでいる、というオチが不安定。

映画では元々死んでいるという感じが表現されていたけれど、原作では少なくともちーちゃんは高校入学してしばらくは実際に生きていたようである(周囲にも認知されている描写から察するに)。
しかし、どこらへんで息絶えていたのか、というのがあまりにも不鮮明(私の読解力不足ですか?)。

武藤先輩との絡みが中途半端で、どうにも不自然。
なのに最後に先輩がちーちゃんだったというのも強引(映画でもそれは思った)。

七不思議を調べているうちに・・という感じが、映画ではちゃんとあったけれど、原作ではいつの間にか話が出なくなっている。。


駄目だ、とりあえず私には微妙だったとしか言いようがありません。

それにしても・・
虐待した挙句、父が母を殺して死体が家に転がっていて、そのまま放置して逃げ出し、川原で生活する主人公っていう時点であまりにも突拍子もない気がしました。

乙一さんの入念に作りこまれた話とは似ても似つきません。
それに、先日読んだネガティブハッピー・チェーンソーエッヂの方が数倍良いです。

ライトノベルも悪くないなあと思っていたのに、この話で少しガッカリした気がします。

酷評ですいません。