No-music.No-life

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音のない涙

「分かった。そうしよう」

誰もが振り向く程に整った顔立ちをした彼女が、表情を変えることなく短くそう答えた時、俺は今起こっている現実が夢なのではないかと本気で思った。


その整った顔立ち、相反する名前……故に、大学入学と同時にあっという間にその名を学内中に浸透させた彼女・毒田花子は、学校中の男女問わずに人気者であり、憧れの的だった。
勿論、それは俺にとっても例外ではなかった。


昔から、女の子にはもてていた。
勉強も運動も出来たし、先生や先輩後輩にも信頼されていた。
家庭は至って円満だったし、信頼できる友人達が常に周囲にいた。

俺は恵まれていて、単調だけれど平和な毎日を過ごすことが出来ていた。

そこそこ可愛い女の子と付き合っては本気になれず、けれどそんなことは億尾にも出さないように付き合い、何となく妥協しながら日々を過ごしてきた自分。

高校の頃のことだ。
ひょんなことから耳にした「ブスだけど美人」な女の子の話。

その子はあまりにもあの近辺では有名で、その名前と姿を知らない人はいないのではないか?と思われる程に有名だったらしい。

俺は元々東京生まれの東京育ちなので、隣県に住む従兄弟からその話を聞かされてたまたまその女の子の事を知っていた。
従兄弟はその「ブスだけど美人」の女の子と同じクラスだったのだが、あまりにも卒がなくて完璧なところが胡散臭くて嫌いだとかよく言っていた(多分、俺が思うに従兄弟は彼女が好きだったんだろう)。

そんなに容姿端麗で性格まで良いというような、完璧な人間がいるんだろうか。
最初に抱いた興味は、そこだった。

だからその子が志望している大学が俺と同じ大学だと従兄弟から聞かされた時、その『完璧な』彼女にもしかしたら会えるのかもしれないと考えると、胸が弾んだ。


大学入学後、なるほどすぐに彼女は見つかった。

背筋をピンと伸ばし、長い手足をもてあますかのような長身。
ストレートの栗色のロングヘアー、ぱっちりとした大きな目、色白の肌、ピンク色に色づく頬。
長身の彼女には、すっきりとしたワンピースと淡い色合いのミュールがとても似合っていて、一目で彼女が例の毒田花子だと分かった。

彼女とは特に接点がなかった。
時折見かける彼女は、中庭で文庫本を読んでいたり、時々お洒落メガネをかけた男と仲良さそうに話していたりした。

当然の如く彼女に憧れる男女は多かったが、彼女が心から信頼して話している相手はそのお洒落メガネの男以外には、ほとんどいなかったのではないかと思う。

俺がそこそこ可愛い女の子とそれなりに付き合うことを楽しんでいるそぶりをみせながら過ごしてきたように、彼女も誰とでも分け隔てなく話しながらも、絶対に自分の本心を見せずに過ごしてきたのではないかと思われた。


それともう一つ、驚いたことに彼女は大層男にもてていたが、誰かと付き合ったとかいう浮いた話の一つも耳にしたことがなかった。
故に愚かな輩たちが彼女に果敢に交際を申し込んでは振られ、という光景は幾度となく目撃し、そんな姿を見て俺自身も既に彼女にアプローチをしようだなどという気持ちは薄れていた。


容姿にはそれなりに自信はあったが、だからと言って学内中の憧れの的である彼女に面と向かって交際を申し込む勇気などなかった。

だから俺は、考えた。
どうすれば彼女と付き合えるのだろうか、という事を。


退屈な授業が終わり、廊下へと出た所で彼女と見知らぬ男が向かい合っている場面に遭遇した。
彼女は丁重に頭を下げ、男はとんでもないという仕草をして、足早にその場を去っていく。

俺は、それが終わるのを待って静かに彼女に近づき話しかけた。

「毒田さん、いい加減寄ってくる男を断り続けるのって疲れない?」

突然話しかけてきた男を一瞬訝しがるような目で見上げた彼女は、けれど一瞬でにこやかな笑顔に戻り俺にこう返した。

「疲れる、なんて言ったら折角気持ちを伝えてきてくれた人に凄く失礼だと思う」

なるほど、そうきたか。

そんな事を思いつつも、表情には微塵も出さずに俺は続ける。

「たまたまさっきの男はすぐに引き下がってくれた。けど、今現在特に付き合っている相手がいるわけでもない、好きな男がいるという訳でもない憧れの彼女が何の理由もなく断るんじゃ、引き下がってくれない男だっていただろ?」

彼女は一瞬少し渋い顔になった。
けれどすぐに柔らかな笑みを浮かべ、

「いないといったら嘘になるけど、それが事実だから」

とやんわりと答えた。
俺は更に続ける。

「ならさ、もっと簡単にこうしたらいいんだよ」

ゆっくりと歩みを進めていた足をぴたりと止めて、俺は静かに隣を歩いていた彼女を見下ろしこう言った。

「毒田さんは、俺と付き合ってるってことにしてしまえばいい」

それを言った瞬間、彼女は驚きの表情で何度かその大きな瞳をしばたかせた。
俺は更に言葉を続ける。

「俺は毒田さんの事を高校の頃から知ってた。ブスだけど美人な完璧な人間、って本当にいるんだろうか?ってずっと思ってた。興味があった。俺も人からみたら毒田さんほどじゃないにしろ、そう思われてかもしれない。だから余計に気になった。俺は毒田さんに興味があるし、もっと知りたいと思う。毒田さんは誰かと付き合っているという事にしておけば、これから色々面倒なことが減る、だから俺達は一緒になったほうがいい。そう思わない?」

我ながら強引なシナリオだ。
もしこれで駄目なら、俺は先ほどの見知らぬ男と同じく素直に引き下がるつもりでいた。

けれど呆気に取られた表情で俺を見上げた彼女の口からは、意外な言葉が返ってきたのだ。


「分かった。そうしよう」

俺は内心小躍りしたくなる程に嬉しかったのだが、そこは冷静にと何とか自分を落ち着かせ、「これから、よろしく」とだけ返事をしたのだった。



「なあ、昭島。毒田さんと付き合ってるってマジ?」

形だけでも「付き合う」ということになった俺達は、早速学校中にその関係が知れ渡ることになった。
自分からそんな事を言わずとも、彼女が俺との付き合いを理由に誰かからの交際を断ることによって、連鎖反応のように噂が広がっているのだろう。

「ああ、マジ」

俺は飄々とした態度で相槌を打つ。

「マジかよ~!あ~でも、お前だったら許すわ。そのへんの変な男と付き合うって言われるくらいなら、昭島で良かったって思える。けど、うらやましいわ、ほんとに」

友人達は俺に羨望の眼差しを注ぎ、しかし意外なことにやっかみなどがほとんどないことにも驚いた。

世間の認識としては、俺は彼女とそこそこ釣り合っているという事なんだろうか?


かといって、彼女と「付き合っている」のは形だけのものであって、真実は違う。

彼女は大学の構内では時々俺と一緒にご飯を食べたりだとか話もしてくれたが、学校の外で会うどころか、前までの接点のない関係と変わらないままだったのだった。

無理もない。
俺は彼女の事をほとんど何も知らないし、そもそもこの「付き合う」目的は彼女の「申し込まれた交際を断る理由」というただそれだけなのだし、俺はそれ以上を求めてはいけないのかもしれない。

けれど、少しだけ近づいてしまった彼女との距離を、縮めたいと思ってしまうのが本心だった。

彼女はまだ、俺に対して本心を見せてはくれていない。
それだけは痛いほどに伝わってくる。
だからこそ、知りたい。
彼女の本心を。決して信頼した人にしか見せないその心の内を。



今日は一緒にご飯でも食べよう、と事前に誘っておいた待ち合わせ場所で彼女の姿を見かけた時、俺はある違和感に気付いた。

いつも熱心に文庫本を読みふける完璧な姿、掻き揚げた長い栗色の髪の下に見える形の良い耳。
そこにはすっぽりとイヤホンがはめこまれていた。
彼女は普段、音楽を聴かない。というより、そんな姿を見るのは始めてだった。

「何聴いてるの?」

俺は彼女の隣に座り、彼女の左耳からイヤホンをつまみあげて自分の右耳にはめこんだ。

そうして始めて右隣の彼女が俺の存在に気付いたらしく、驚いて声をあげる。

「わっ!びっくりした」

そういって酷く動揺している彼女は、そんな状態でも見惚れるほどに完璧だった。
不意を突かれてほんのり赤く染まった頬、驚いた表情はどうしたって綺麗としかいいようがない。

そんな彼女を横目で見つつ、俺は右耳から聴こえる音楽に耳を澄ました。

聴いたことのない曲。けれど、不思議と心地良いような。
でも、少し音が荒い。というか、音質が良くない・・?

複雑な表情をしていたのだろう、彼女が俺の右耳からイヤホンを取り返して弁解するように言った。

「私の知り合いのバンドの音源なの。デモっていうの?友達がCDを焼いてくれたから。普段あんまり聴かないんだけど、前にね一度ライブを観に行ったことがあって、ちゃんと聴いてみようかなって思って……」

手元のi podを操作しながら、彼女は珍しくしどろもどろに答えている。
いつだって相手の目を見据えてハキハキと意見を述べる彼女にしては、酷く珍しい動作でもあった。

「そうなんだ、でも、悪くないね。これ」

俺は正直な感想を述べたのだが、彼女が手元に落としていた目線を再び俺に向けた時の笑顔を、俺は多分一生忘れられないだろうと思った。

「そっか」

彼女は短くそう言って、けれどもとても嬉しそうに満面の笑顔で言うもんだから、俺はとにかく彼女を見ていられなくなった。
何故って?
それは、あまりにも彼女が完璧すぎる笑顔だったからだ。


そういう些細な場面で、彼女の素の部分らしきものに触れるのはとても気分が良かった。
相変わらずその機会も少なくはあったが、彼女と形だけでも「付き合う」ことになったことで、少しずつだが何かが変わっているようにも思えた。