No-music.No-life

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クリスマスの夜には

名前も知らない彼女は、何を見つめているのだろうか。
ティッシュを配っていた手をふと止めて、彼女はじっと空を見つめている。

雪?
まさか。
それとも・・

クリスマスイブの都会の町並みを彩る過剰なイルミネーション。
幸せそうに腕を組んで歩くカップル達。
大きなプレゼントの包みを抱えて、笑いあっている家族連れ。

周囲の幸せそうな人の波を見渡していた私は、再び彼女の方を見た。

彼女はビルの上にある屋外テレビの画面を見つめているようだった。
そのビルには、ファッションブランドがずらりと軒を連ね、確か外資系のレコードショップが入っていたはずだ。
そのレコードショップが流しているらしい映像のようだ。

丁度その時、インディーズチャートのランキングが放送されていた。
画面に映し出されていたのは、最近私の大学内の音楽サークルでインディーズ盤のCDを出したというバンドだった。

何だっけな、あのバンド。
学祭で結構盛り上がっていた気がするけど、興味がないことなんて全然記憶の片隅にも残らないものらしい。
ランキングと同時に流れていた歌にもほとんど聴き覚えがなく、考えている間に次のアーティストの音源と映像に切り替わってしまった。

そうして、屋外テレビから再び彼女に目を向けると、既に彼女はティッシュ配りを再開していた。


「よっ!サンタのコスプレはどんな気分?」

ほとんど受け取ってくれる人がいないティッシュを、自ら受け取った奇特な人がいるんだなあと関心していたら、なんてことはない。・・アイツだった。

「沢谷・・・何しに来たのよ、あんた。」

出来る限り感情を抑えた声で、私は目の前の男に毒づいた。

「え?暇だから弓削ちゃんのコスプレ姿を見に来てやったんだよ。」

いけしゃあしゃあとそんな事を言ってのける沢谷は、不敵に笑った。

「・・邪魔。っていうか、仕事中だから話かけないで。・・はっきり言って、超迷惑」

私は真顔で言い、再びティッシュ配りを再開した。

「弓削ちゃんってば、冷たいのな。クリスマスイブに、わざわざ会いに来てくれた俺に対してそういう態度って、ないんじゃないの?」

・・また始まった。
コイツは、いつだってそうだ。
私達は同じ大学に通っているという共通点はあるが、断じて付き合ってなんていない。
いや、地球がひっくり返ったとしても、その可能性は皆無だ。
私はコイツが好きではないし、時々本気で殺意が芽生えるほどに憎いと思う瞬間が結構ある。
いつだってコイツは私をからかって、楽しんでいる。
タチの悪い最低な男なのだ。

私は沢谷を無視して、ひたすらにティッシュを道行く人に差し出す。
そして、ほとんどの人が私の存在などないかのように素通りしていく。

クリスマスイブの日中とはいえども、12月の後半ともなると手はかじかんで、既に感覚を失いつつある。

手に握っているティッシュには、ギャル系のいかにもという顔をした化粧の濃い女達が微笑んでいる写真がプリントされている。
シフト自由・高時給・大好きなブランド物だって買えちゃう・一日2時間でもOK・・
などという最もな文句が連ねられた風俗店の女の子募集のティッシュを、自らもらおうとする人間なんて、あまりいない。

時々受け取ってくれる人もいるけれど、風邪を引いたのか大量にティッシュを欲しているらしいおばちゃんだとか、うっかり受け取ってしまったけれどこんなのいらないとそのへんに捨てる若い女とかばかりだ。

そもそも、風俗店のティッシュというのがいけない。
携帯電話のキャンペーン用のティッシュだとか、もっと健全なティッシュだったら受け取ってくれる人もいるのかもしれない。

けれど、クリスマスは短期バイトでガッツリ稼ごうと思っていた私は、やたらと日給が良かったこの風俗店の勧誘ティッシュ配りのバイトを選んでしまった。

『ノルマは一切ありません、初めての人でも親切丁寧に教えてくれるから大丈夫♪』

という言葉を鵜呑みにした私は、目の前に置かれた大量のティッシュが詰められたダンボールを見て絶句した。
おまけに、親切丁寧に教えてくれるらしい傲慢な態度の男がこう言った。

「とりあえず、このティッシュ全部配ってくれれば良いから。何時までって別に決まってないから安心して。一日で全部配り終えれば問題ないから。じゃ、よろしく」

と、全くもって親切でも何でもない説明を受けてから私は朝からこうしてひたすらにティッシュを配り続けている。
日中になって、確かに人が増えてきたというのに、さっきからほとんどティッシュが減っていない気がするのは決して気のせいではないだろう。

そして私を絶望的な気分にしたのは、ティッシュの入ったダンボールの山だけではない。

「あと、クリスマス期間はこれ着てやってね。」

男はついでのように一言付け加えて、私にその赤と白のサンタクロースの衣装を手渡してきたのだった。


寒い。
せめてこのサンタの衣装がスカートでなければ違っただろうに。
ご丁寧にミニスカートときたもんだ。
私が出血大サービスをしてこんな格好をしたところで、目の前のティッシュの量は減りもしないというのに。

そうして、はたと気付いて私はその疑問を口にした。

「・・っていうか、何であたしがこの格好をしてバイトしてるって知ってたわけ?」

私が無視を決め込んでいて、黙り込んでいた沢谷は再び笑顔になって言った。

「え?弓削ちゃんがバイトするっていう話は聞いてたからさ、暇だったから朝から弓削ちゃんを尾行してきたんだよ。全然気付かないんだから、夜道とか気を付けたほうが良いよ、一応弓削ちゃんも女の子なんだからさ。女なら誰だっていいっていう男なんて五万といるんだから」

何かさりげなく気持ち悪い事を言われた気がするが、聞かなかったことにして私は奴を完全に無視することを心に決めた。

この沢谷という男は、男のくせに・・とにかく口が減らない奴なのだ。
気付けばひたすら喋り続けているし、うるさくて仕方がない。

「っていうかさ、弓削ちゃん・・全然ティッシュ減ってないじゃん。もっと笑顔を振りまいて渡すとかさ、色気だしてみるとかさ、何か努力しないと今日中に配り終わらないんじゃないの?」

私はそんな言葉も無視してひたすらにティッシュを配り続ける。
しかし、ほとんどの人が何も見なかったかのように素度おりしていく。

「あっちの綺麗な子なんて見てみなよ。同じサンタの格好をしているのに、いやらしさがないしさ、むしろ爽やかに着こなしてる。それでいて愛想よく笑顔を振りまきながらティッシュを配っているというただそれだけなのに、皆がティッシュを受け取ってるじゃないか。」

その言葉で、私はようやく自分の立っている位置の丁度反対側に同じくサンタの格好をしてティッシュ配りをしている人間がいたことに気付いた。

赤と白のサンタの帽子を被った彼女は、長身で手足が驚く程長い。
こちらは適度な長さのスカートから、すらりと細い足がのぞいている。
ストレートの栗色の髪、大きな印象的な瞳と、色白の肌。
そうして笑顔を見せながらティッシュを配る姿は、何処か様になっていて、人を惹きつける魅力が充分にあった。

彼女が携帯電話のキャンペーンのティッシュを配っているという点を差し引いたとしても、確かにああいう女の子からティッシュを差し出されたら受け取ってしまうだろうな、という気がする雰囲気を持った子だった。
いや、事実彼女の手持ちのティッシュは順調に減り続けていた。

対して、私の手元にはまだまだ数え切れない程のティッシュの山。

「ほらほら、だから弓削ちゃんも、もっと笑って笑って。そうしないと配り終わらないうちにクリスマスになっちゃうよ」


私はしばらく綺麗な名も知らない彼女を見つめてしまっていて、思わず手が止まっていた。
沢谷の言葉にようやく我に返り、再びティッシュ配りを再開する。