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僕の憂鬱

「太郎君、本当は私以外にも本気で付き合っていた子がいたのね。」

ここ最近就職活動で忙しく、なかなか会えず仕舞いだった彼女から珍しく電話がかかってきて、いつもの待ち合わせのカフェに呼び出された。

カフェオレの入ったカップを両手で包みこむように持ち、俯いたきり何も発することのなかった彼女は、突然訳の分からない事を言う。

「え?どういうこと?」

僕は瞬時に考えを巡らせてみるが、思い当たる節など一つもない。
元々、僕には二股なんていうそんな器用な真似など出来る性分ではないし、事実そんなことはあり得ない。

「・・いいのよ、あんなに綺麗な彼女なら、私はもう諦めるって決めたから。かないっこないもの。太郎君みたいな人には、あの子みたいに綺麗な子が釣り合うのよ」

そうして、彼女はカフェオレを一口も飲むことなく席を立ち、その場を後にしたのだった。

僕は全く不可思議な体験だと釈然としなかったのだけれど、その後の大学生活の中でも彼女が出来る度にそんな事を言われて自然消滅してしまうという経験が何度あったことか。

「何だって俺は妙な言いがかりをつけられて、彼女に振られるんだ?全く意味が分からない」

憤りを覚えながら、友人にそんな事を話すとその理由は極めて単純なものだった。

「そりゃ、お前のせいじゃねえって。顔良し、頭良し、性格良し、おまけに彼女一筋のお前が訳もなく振られる訳がないだろ?ちゃんと理由があるんだって」

同情した目線を向けられた僕は、「理由?」と問い返す。

「そう、理由はお前の『妹』だよ」


僕は釈然としない思いのまま、大学を後にし最寄りの駅へと向かっていた。
幸いこの就職難の中、内定が決まった僕はこれからバイトでも始めようか?などと考えていた所で、今のところ何の予定もない。
明日は土曜日だし、どうせやることもないし一度実家にでも帰ろうか、そう思い立ち一旦家に帰って荷物をまとめて下り電車に乗り込んだ。

午後のうららかな平日の車内は、空いていて乗客はまばらだった。
僕以外には小さい子供を連れた母親と、腰の曲がったおばあちゃんや仕事をしていないのか若者の姿がちらほらあるくらいだった。

ここから実家のある県までは、片道2時間くらい。
この分だと、3時過ぎには家に着くだろう。
実家から大学まで通えないほどではなかったが、何となく自立してみたいと思い立ったのが理由で、僕は一人暮らしと上京を実行にうつしたのが18歳の頃のことだ。

僕は座席に座り、友人との会話を思い出してみる。

「花子ちゃんだよ、高校入ってからかなり垢抜けたもんなあ。ほんと俺にもあんな妹が欲しいわ。マジで。」

話が脱線し、僕が不満そうな顔を向けたことに気付いた友人はすまんと目で示し、言葉を続ける。

「だからさ、何らかの形でお前と花子ちゃんが一緒に歩いているのを見かけたんじゃねえの?この前も、こっちに遊びに来てたんだろ?多分その時じゃないかと思うんだけど。良く見れば兄妹だって分かるけどさ、遠くから見た限りじゃ美男美女カップルにしか見えねえだろ。どうしたってお前らが二人で歩いてたら目立つしな」

という理由だったのだが、何とも釈然としないのは何故か。

5つ下の妹の花子は、高校デビューを果たした。
高校デビューなんていう言葉で片付けられるものではない、むしろあれは「変身」だろう。
中学時代の全くもって見た目を気にしなかったその容姿からは、今の花子は想像も出来ない・・それくらいに劇的に妹は変わった。

ただ、大学入学を機に都内で一人暮らしを始めていた僕は、妹があそこまで変わった瞬間というか、その時期を知らない。
久しぶりに実家に帰って来た時、僕の母校でもある海成高校のセーラー服を身にまとった美少女が勝手に家に入り込んできたと思っていたら、それが花子だったのだ。

あの時は、心底驚いた。

妹の姿は、まさに中学の頃とは全くの別人にしか見えなかったからだ。

元々妹の花子とは、別段親しくしていたわけでもない。
かといって、不仲な訳でもなく、ごく普通の兄妹という関係だった。

思春期の花子と、思春期を過ぎた僕たちは、ごく自然に兄妹らしい距離をとり、そのうちに花子が変身していた・・という訳だったのだ。

確かに、花子は不細工ではなかった。
僕はどうやら、一般的には「顔が良い」という部類に入るらしくて(あまり自分で言うのも嫌らしいから言わないようにしているが)、だからこそ妹である花子にもその血は受け継がれていた。

しかし、中学までの花子は全く容姿を気にしないのだった。
瓶底のような分厚い眼鏡(ド近眼なのだ)をかけ、背中は丸まり、髪型は鳥でも住んでいそうなほどに広がっており(僕も実は凄いクセ毛なので、ストレートをかけている)・・我が妹ながら、見ていて時々悲しくなってしまった。

決して僕は「もうちょっと見た目を気にしろよ」なんていう言葉は言わなかったけれど、花子自身も大して気にも留めていないようだったので、そのままになっていたのだ。

しかし、今はどうだろう。
いつの間にかストレートになった栗色の髪からは常に甘い匂いが漂っており、背筋はピンと伸ばされ、元々長身だった花子は長い手足を持て余している。
瓶底眼鏡に隠されていた素顔はこれまた愛らしく、大きな瞳と淡いピンクで染まった頬はどうみても美少女という以外に形容できる言葉はなかった。

だが・・実の妹と一緒に歩いているだけで彼女に振られる僕の身にもなって欲しい。
妹には何の罪もないが、僕にとっては大きな問題だ。
それは、僕の名前が「太郎」なんていう古風すぎる名前だっていうことくらいに。


何度かの乗り換えの後、実家のある駅が近づくにつれて、学校帰りの高校生やらで電車の中はそこそこ混んでいたが、何とかまた空席を見つけて座り文庫本を読んでいた。
先程「海成高校前」を通過したばかりという時に、突然視界にセーラー服のスカートらしき物体が入ってきた。

「あれ?お兄ちゃん?」

本から目線を上に上げると、学校帰りの花子が目の前に立っていた。
つり革に掴まり、笑顔で語りかけてくる。

「ああ、花子か」

何ていうタイミングなのか?と苦笑しながら、僕は言う。

「明日休みだから何となく帰ってきたんだ」

またこんな所を大学の誰かに見られたら、ああだこうだと噂されるのだろうか?
まあそもそも、こんな辺鄙な町には知り合いなどいないだろうが。

僕は席を花子に譲り、つり革に掴まりつつ目の前の妹を見下ろしながら会話をしていたのだが、それにしても周りの目線がいちいち気にかかる。

「今日はね、学校でこんなことがあったんだ」

花子は何やら話をしていたようだったが、周囲の人間が僕を、いや、花子を遠まわしに気にして聞き耳を立てているのが嫌でも伝わってきて、妹は毎日こんな風に過ごしていたのかと今更ながら感心してしまう。

最寄駅に着き、二人でホームに降り立つ。

長身の妹は、横に並ぶと平均的な身長である僕とあまり身長差がない。
僕は横にいる妹に質問した。

「花子、毎日あれだけ周囲の人間に興味本位でじろじろ見られて、嫌にならないか?」

改札へと歩きながら、一瞬きょとんとした花子はしばらくして微笑みながら言うのだった。

「ううん、何か慣れちゃった。」

そうして颯爽と改札を抜けた花子の後姿は、何だかとても潔くてかっこよかった。

「ふうん。そんなもんか」

続けて改札を抜け、再び花子の隣に並んで歩き出した僕に、こう言うのだった。

「今までバカみたいに名前とのギャップで悩んでたけど、実際街中ですれ違う人のほとんどは自分の名前なんて知らないし、逆に名前を知っている人でも名前と顔が合ってない!って思われるほうがよっぽどマシだよ。何せ、中学の頃は名前と顔が一致してるって言われ続けてきたからね」

花子はセーラー服のスカートをさっと翻し、背筋をピンと伸ばして歩いている。


両親が、男が生まれたら「太郎」女が生まれたら「花子」というとんでもない思考の持ち主だったお陰で、毒田というインパクトのありすぎる苗字と、更にインパクトのある太郎・花子兄妹として毒田家に生まれてしまった僕たち。

実を言えば、ずっとこの名前が嫌で嫌で仕方がなかったのだ。

けれど・・

確かに、今となってはあんなに嫌だった名前を好きな子に呼んでもらえると嬉しい。
好きな子じゃなくたって、いつもアドバイスをくれる友人にだって、呼んでもらえただけで親近感が沸くじゃないか。

「・・そうかもなあ。俺も慣れたもんだ」

僕はそう呟いて、少し前を歩いている花子に小走りで駆け寄った。