春の柔らかな風の中、一人の女性が立っている。
ふいに強く吹きつけた春風。
目を細めながら、広がる髪を押さえる女性。翻るスカート。
女性の後ろでは、優しく桜の花びらが舞い落ちる。
それを優しい眼差しで見つめる青年-
ふいに強く吹きつけた春風。
目を細めながら、広がる髪を押さえる女性。翻るスカート。
女性の後ろでは、優しく桜の花びらが舞い落ちる。
それを優しい眼差しで見つめる青年-
これは、私がBaseBallBearの新曲抱きしめたいを聴き、瞬時に思い浮かんだ情景である。
あまりにも単純過ぎる情景だろうか?
それなら、笑ってもいい。但し、ぜひ一度この曲を聴いてからという条件付きで。
あまりにも単純過ぎる情景だろうか?
それなら、笑ってもいい。但し、ぜひ一度この曲を聴いてからという条件付きで。
初めて曲のタイトルを聞いた時、
「一体彼らはどうしてしまったのか?」と感じたのが正直な感想であった。
「一体彼らはどうしてしまったのか?」と感じたのが正直な感想であった。
今までにも、確かに曲名を聞き、思わず微笑んでしまう物はあったと思う。
例えば、メタモルフォーゼ真っ最中・SAYONARA-NOSTALGIA・極彩色イマジネイション・ラビリンスへのタイミング・・
例えば、メタモルフォーゼ真っ最中・SAYONARA-NOSTALGIA・極彩色イマジネイション・ラビリンスへのタイミング・・
どれもこれも、インディーズ時代にリリースされた楽曲に多いのが分かる。
しかも当時10代であった彼らだ。
そう考えたら、若さ故のタイトルだと納得することも出来た。
しかも当時10代であった彼らだ。
そう考えたら、若さ故のタイトルだと納得することも出来た。
しかしメジャーデビュー後、英語のタイトル曲が増えていく。
GIRL FRIEND・STAND BY ME・・
GIRL FRIEND・STAND BY ME・・
それはやはり、日本語詩を歌うアーティストにはありがちな事でもあり・・だからこそ、私の中では少し残念な気もしていたのだ。
必ずしも英語のタイトルだからと言って、曲が良くないなどという訳はないのだが、やはり抵抗感が生まれてしまう事は否めなかった。
必ずしも英語のタイトルだからと言って、曲が良くないなどという訳はないのだが、やはり抵抗感が生まれてしまう事は否めなかった。
そんな時に、である。
今回の新譜は、あまりにも予想外だった。
何せ抱きしめたいである。
今回の新譜は、あまりにも予想外だった。
何せ抱きしめたいである。
そのあまりにも直接的な言葉に驚いてしまったのだ。
今までの彼らの曲を振り返ってみると、決して恋愛の歌を歌っていない訳ではない。
むしろ、少なからずほとんどの曲が恋愛に関するものばかりだ。
にも関わらず、曲のタイトルには恋愛に直結するようなものが極端に少ないように思う。
むしろ、少なからずほとんどの曲が恋愛に関するものばかりだ。
にも関わらず、曲のタイトルには恋愛に直結するようなものが極端に少ないように思う。
それに、ここまでストレートに恋愛を連想させるようなタイトルを、今まで彼らは付けたことなどなかったのではないか。
更に日本語で抱きしめたいなのだ。
驚かない訳はない。
驚かない訳はない。
前作「C」の完成度の高さから、彼らの次の方向性が不透明なものだとずっと感じていた。
ある種のゴール地点とも言える前作から、次は何処へ向かっていくのかという事は私にとっても、同じく彼らのファンにとっても予測しがたいものだったに違いない。
ある種のゴール地点とも言える前作から、次は何処へ向かっていくのかという事は私にとっても、同じく彼らのファンにとっても予測しがたいものだったに違いない。
そんな不透明な状態の中、届いた新譜のタイトルが抱きしめたい。
だからだろう。「一体どうしてしまったのか?」と思ったのはそのせいなのだ。
彼らの次のステージを思い描けないまま、一度CDを聴いてみる。
そしてまんまと冒頭から心を奪われてしまった!
そしてまんまと冒頭から心を奪われてしまった!
思わず笑ってしまうような、だけど何だか胸が締め付けられて泣きたくなるような、それでも幸せを感じてしまうような・・色々な感情が一気に押し寄せてきて、私は何とも形容し難い気持ちになった。
そして浮かんできたのが、冒頭で言っていたあの陳腐な情景だったのだ。笑えるだろうか?
刻まれるベースの低音。
柔らかく、しかし力強く奏でられるギター。
安定感を保ちながらも、ドラマチックに刻まれるドラム。
柔らかく、しかし力強く奏でられるギター。
安定感を保ちながらも、ドラマチックに刻まれるドラム。
そして、以前に増して艶めいた小出のボーカル。
小出自身が自分に酔いしれているかのような癖のある歌い方が強調され、それがまたスパイスとなって曲の完成度を際立たせている。
小出自身が自分に酔いしれているかのような癖のある歌い方が強調され、それがまたスパイスとなって曲の完成度を際立たせている。
更に今作では、ベース関根のコーラス部分も増えている。
淡々としているようで透明感溢れる声が、曲の世界に広がりをもたせる役目をしっかりと果たしている。
淡々としているようで透明感溢れる声が、曲の世界に広がりをもたせる役目をしっかりと果たしている。
タイトルの大胆さもさることながら、歌詞までもが大胆な表現である。
そして、いやらしめな意味でも綺麗な意味でもというストレートな心情を惜しげもなく歌詞に載せている。
恋愛に関する歌にありがちな、綺麗事ばかりの歌詞とは似ても似つかない。
恋愛に下心がないなんてことは、ほとんど皆無に近いのだから。
だからこそ、ここまでストレートに「君」への心情を綴ってしまえる小出は、確実に別のステージへと進んでいるように思うのだ。
そして、一見幸せな男女の情景を思い浮かばせておいて、それだけでは終らない所が彼らの曲。
前作Cの中のYOU‘RE MY SUNSHINEのすべてでも歌っていた、
というフレーズがふと思い浮かんだ。
彼らは常に、『幸せであること=永遠の幸せ』だとは思っていないように思う。
だからこそ、いつ終わるかも分からない「今」の幸せを怖れていたのかもしれない。
だからこそ、いつ終わるかも分からない「今」の幸せを怖れていたのかもしれない。
しかし・・今作で歌われる気持ち悪くなるほどの幸せは、そうではない。
「あなた」といるはずなのに、一人を強く感じるYOU‘RE MY SUNSHINEのすべて。
そのせいか、眼前に広がる世界は何処か寂しげで儚かった。
そのせいか、眼前に広がる世界は何処か寂しげで儚かった。
だがどうだろう。
今作抱きしめたいでは、常に「君」の存在が傍に感じられる。
今作抱きしめたいでは、常に「君」の存在が傍に感じられる。
暖かな春風が運んできた、「君」の何気ない仕草に抱きしめたいと思うその心も、「君」の存在が確かであることで更に温かみを増して感じられる。
更に「気持ち悪くなるほどの幸せ」を「君」が笑うから、抱きしめたいと思うと歌っている。
不確かで具体的な形として見えない幸せ。
ただそれを認めてくれる「君」の存在が、幸せを確かなものにする・・
ただそれを認めてくれる「君」の存在が、幸せを確かなものにする・・
今作がただの恋愛ソングにならなかったのは、そういう理由だったのではないか。
ハッピーエンドの恋の歌ではない。
いつ失ってしまうかも分からない、そんな恋愛の風景。
そこに暖かな春の風と、「君」の存在が加わり、抱きしめたいというストレートな感情だけが強く残る。そして、あまりの愛おしさに胸をしめつけられてしまう・・。
いつ失ってしまうかも分からない、そんな恋愛の風景。
そこに暖かな春の風と、「君」の存在が加わり、抱きしめたいというストレートな感情だけが強く残る。そして、あまりの愛おしさに胸をしめつけられてしまう・・。
しかし、「君」が笑ってくれるから今の幸せを信じて、この二人はこれからも色々な風景を見つめていくのであろう。
カップリングには、インディーズ時代の名曲彼氏彼女の関係[新しい関係ver.]が収録されている。
彼らの代表曲でもあるこの曲の進化を、また彼らが描く恋愛の「現在」と「過去」の違いを聴き比べてみると、なかなか興味深い。
更に、5月16日には早くも新曲ドラマチックの発売が決定している。
2007年の彼らの活躍にもまた、目が離せない。
2007年の彼らの活躍にもまた、目が離せない。
それにしても、抱きしめたいを聴くたびに冒頭の情景が浮かんできて困っている。
何度もリピートして聴いていると、恋がしたいという気持ちになって、いてもたってもいられなくなるからだ。
何度もリピートして聴いていると、恋がしたいという気持ちになって、いてもたってもいられなくなるからだ。
こんな気持ちになるのは、果たして私だけなのだろうか?
まだ聴いたことがない人は、一度聴いてみて試してみて欲しいと思う。
まだ聴いたことがない人は、一度聴いてみて試してみて欲しいと思う。