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Base Ball Bear 「『夕方ジェネレーション』から『C』へ」 ②

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そして3曲目に祭りのあとを持ってきたところがまた憎い。
既にJAPAN COUNTDOWNのエンディングテーマ曲としても馴染み深いこの曲は、一度聴いたら長いこと私の頭の中でリピートされていて、その余韻に浸っていたのだが・・この曲がまた素晴らしいのである。

お祭りのあとの あとの祭り 永遠か 夏の終わりのあとの やや肌寒い 夜の あの、お祭りのあとの あとの祭り ROUND AND ROUND 夏の終わりのあとの やや肌寒い 夜のあとさき

こうやって歌詞として言葉を並べてみると、くどいほどに「あと」という言葉が入っているのが分かる。一見すると、何が何だか分からない歌詞なのだが・・。
しかし、音を聴いた瞬間にその気持ちなど全て吹っ飛んでしまうのだ。

「お祭り」「夏の終わり」「夜」「やや肌寒い」・・

それらの単語と、「あとの祭り」を重ねてみると不思議なことに違和感がないのだ。
更にその歌詞に彼らの楽器の音と歌を載せてしまったら、ただそれだけなのに、どうしてこんなにも爽快に聴こえてくるのだろうか?

それどころか、リアルなほどにその情景が浮かんできてしまうのは何故なのか?
Base Ball Bearの音を聴くと、色々な疑問を抱いてしまう。しかしその感覚は決して不快ではないのである。

更に次の曲へと進んでみる。
続いて流れてくるのはメジャー1stシングルでもあるELECTRIC SUMMERだ。

この1曲目からここまでの流れが、とても爽快だ。
元々、夏の始まりを思わせるこの「ELECTRIC~」はどう考えても爽快なのだが、とにかく爽快という言葉を連呼する以外には、この流れの心地よさは言い表せないように感じる。

そしてその流れを引き継ぐかのように次のスイミングガールでは、ぷかぷかと水の上に浮きながらただ青空を見て漂っているかのような情景が浮かんでくる。

何よりこの曲の絶妙さは、さりげなく歌詞の所々に韻を踏んでいる事だ。

夜がいらして 何か 苛立って イルカ 浮かべて 『リボルバー』 聴いて

スイミングガール 水色になって スイミングガール 太陽にタッチ スイミングガール 永遠になれ 睡眠が 取れないほどに!!!!!

この「睡眠が」が「スイミングガール」としか聴こえないのがまた上手いのだ。
しかし、彼らは水の上をただ静かに漂わせてはくれない。

呪文のように繰り返される「スイミングガール」と、言葉遊びのような奇妙な韻。
それは、聴く者を巧みに彼らの音に引き込ずりこんでしまう。

そして、このスイミングガールを聴く頃には、次の展開が気になって仕方無くなっていることであろう。
現に、自分がそうだったのだから。

そして完全にやられ?b>YOU'RE MY SUNSHINEのすべて?br />

これこそ完全に、SUPERCAR世代の新しい音なのかもしれないと妙に冷静に聴きながらも独特の世界観に酔いしれてしまう。

もう曲の始まりからいい。
押さえ気味なサウンドなのに、だからこそ人を惹き付けてしまうところだとか。
ドラムの軽快なリズムだとか。
何とも幻想的な世界観だとか。
ボーカル・小出の、妙に色っぽく艶めいた声だとか。

抱きしめたその瞬間に 世界の終わりを見せる 幸せが、怖い

と言い切ってしまう所だとか。
以前紹介したランクヘッドの歌詞には

「何もかもが 穏やかで 怖かった」

というものがあったけれど、Base Ball Bearは「幸せが、怖い」のだと言う。

どうして怖いのだろう?
穏やかさと幸せというのは似ているけれど、あまりにも具体性の欠片もなく、きちんとした形をしていないからだろうか?
掴もうとすると、空を切ってしまうだけだ。それに、自分だけがそう感じているのかもしれない不確かさだとか。

そんなことを考えながら、この曲の壮大な世界観に私はどっぷりと浸ってしまうのだ。

続いてGIRL OF ARMS

何だろう?この痛々しいほどに切なく響くこの歌は。
一番最初にこのアルバムを聴いたときに、この曲は一番心に残ったわけではなかったのだ。
なのに何故?
いつの間にか、この曲の虜になっている。

愛してるの一言で 終われば それがいい

俺の描く結末 君の描く結末 知りながら 笑いながら 引き金に指をかける ・・狂ってる?

愛してるとか、その一言で終わればそれがいいとか言っておいて、それでも狂ってる?と問いかけてしまうその青さというか、がむしゃらな感じがどうにもこうにももどかしくてたまらない。

そして、この曲全体を満たす音がまた優しくて、小出の声は甘い吐息みたいで、もう・・一曲全てが愛しくて、胸が苦しくて仕方がないのだ。
何なんだろうか?この曲は。

そんな想いを打ち消すかのように、いきなり攻撃的な音から始まるDEATHとLOVE
最初から最後まで強気でいくかのように見せて、サビに近づくにつれてそのトゲは少しずつ消えていく。

思い出に変わる 永遠に変わる 変わらないこともある 考えてみても どこにもいない 君はもう

君がいた夏が・・・消えていくようだから 君がいた夏が・・・消えていくようだから 手を振り

歌詞を今じっくり読んでみると、本当に切ない事を言っていることに改めて気付く。
切ないと言っても、別れの歌特有の「悲しさ」は音だけを聴くと一瞬気付かない。だけど・・この世界は不条理で、上手く行かないこともあるのである。
例えば、この曲のように「会いたくても会えなくて、いつかは思い出に変わってしまうこと」だって日常なのだ。

そんなことを考えているうちに、しんみりした曲の流れの3曲を聴き終えて、さて次もこの展開で切ない曲?と不安と期待を抱きながら次の曲へ。

そこできましたSTAND BY ME
メジャー2ndシングルでもあるこの曲は、とにかく前向きだ。

桜と海と白雪を散らして 駆け出したいのだ 17歳の空へ

既に、17歳という時を永遠に失ってしまった彼らが歌うこの曲は、もはやその年齢からは遠ざかってしまった私達や、今がまさにその年齢という人にまでその気持ちを届けてくれるかのようだ。

バンドBについてに収録されているラビリンスへのタイミングの中にも、

さようなら 麗しの17歳

という歌詞があるが、20歳を過ぎ大人になった彼らにとって、17歳とは一体何なのだろう?
すると、プロフィールを見て気付いたのだが彼らにとってバンドを正式に結成したのが丁度その頃だったことに気付く。

これは勝手な見解だが、17歳という失われてしまった時を振り返ることはしないけれど、その時があったからこそ今の彼らがいる、という気持ちの表れなのかもしれないだなんて、検討外れな事を思ったりするのだ。

そして10曲目のラストダンス

ラジオ番組のエンディングテーマとしても流れていた、珠玉の一曲。
一度聴いてみただけではこの歌の壮大さに気付かなかったのだが、実はかなり深い。

最後のダンス 踊るふたりは ただただ、笑う ラストダンス ふたりは踊る それはそれは 最高のダンス 踊るふたりを街が見てる

これは「最後の踊り」なのだ。
ラストだというのに、暗すぎない音のせいで最初、「綺麗な音だな」位にしか思えなかった自分の稚拙さが恥ずかしい。

どうしてこの歌詞の中の主人公と、ダンスの相手は「ラストダンス」を踊っているのだろう?
何故最後なのだろうか?

そう思って、改めて歌詞や音を感じてみると・・もっと違って聴こえてきた。
情景が頭に浮かぶようだ。
綺麗な綺麗な、そしてとても悲しいラストダンス。

そしてアルバムのラストを飾るのがSHE IS BACK

ラストをラストダンスにしなかったという彼らの意図は掴めないのだが、敢えてこの曲を持ってきたところが、彼らの本当に凄いところなのではなかろうか?

ラストダンスでしんみりと浸っているところに、この曲を持ってきてしまう腹黒さというか。

しかもこの曲の歌詞が、今までアルバムに収録されていた歌の全てを覆していると思ってしまうのは、気のせいだろうか?

思い出はくたばらない あの夏は帰らない ダイヤモンドは砕けない 思い出はNEVER DIE

DEATHとLOVEでは、

「思い出に変わる 永遠に変わる」

と言って、永遠に失ってしまうような雰囲気を漂わせておきながら、
思い出はくたばらないとかNEVER DIEと言ったり。

ELECTRIC SUMMERなんて歌っておきながら、あの『夏』は帰らないなんて言ったり。

そう考えてみると、このアルバムは彼らの世界であり、しかも一筋縄でいかない奇妙で、心地よくて、素晴らしい・・まさに次世代の音を作り出したBase Ball Bearの音なのだと思うのだ。

そしてこのアルバムを聴いた者は、彼らの罠にまんまとひっかかって笑うしかなくなってしまうのである。

10代から20代へ。
子供から大人へ。

艶やかさ、色っぽさが妙に際立ち始めたボーカルの小出の歌声と、文学的な言葉の世界を新しい音に載せてしまうその楽曲のセンス。
「歌は苦手」と言いつつも、透明感溢れるコーラスを披露しているベースの関根。そのベースにも、何処か落ち着きが出てきて聴くものに安心感を生み出している。
また、Base Ball Bearの音という特徴的なものを作り上げている湯浅のギター。
進化していくギターテクが、完成した時。それが彼らの頂点になるのかもしれない。
そして、巧みなリズムを作り出している堀ノ内のドラム。
これからも、益々素晴らしいリズムを刻み続けていくのであろう。

2005年、4月。
「HIGH COLOR TIMES」発売記念ライブに行ったときのことを、ふと思い出す。

新宿LOFTのライブ会場で、ワンマンライブではなく対バンでライブを行った彼ら。

その時私は、一番前で彼らを見た。
まだ、初々しい彼らの緊張のライブ。

まだまだ青く、技術も未熟ではあった。
しかし・・。何か秘められた可能性を感じたのは間違いなかった。

そして・・2007年。
ついに彼らが、渋谷AXでのワンマンライブを行うことが決定した。

何処まで進化していくのか?
彼らは何処まで行ってしまうのか?

彼らを語ろうとすると、どうしても疑問系になってしまうのは何故なのだろうか?
多分それは、彼らの行く先が不透明であり、また予測不能な可能性を秘めているからなのかもしれない。

だから私はこれからも、がむしゃらに彼らを追い続けて行こうと思うのだ。