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私がネガティブになった理由(わけ)。

いつからだろう。
気付いたら、考え方が恐ろしく後ろ向きになっていたのは。
 
いつからこうなってしまったのだろう。
何もしていなくても、基本「人から嫌われている」と思って生きるようになってしまったのは。


という訳で、
今日は会社で、笑っちゃうくらいあからさまに嫌われているな!という態度を取られたので、ネガティブになった原点に返って考えてみようと思う。
 
小学生の頃。
 
友達は少なかったけれど、その少ない友達の中でもそれなりに楽しくやっていた気がする。
友達が少ないうえに大人しくて恥ずかしがり屋だったので、周りの人間にも「なんとなく遠慮して、気を遣って接してあげないとダメな人」というな、いわばお客さん的な扱いを受けてきた気がする。
 
嫌われているというのとはまた違って、仲間として迎え入れられているのにも関わらず、いつまでも他人行儀を崩さない、みたいな。
よくいじめられなかったなあとは思うのだけど、何だかんだと学校は毎日通っていた。
 
この頃、家庭はごたごたしていたのだが、それを悟らせなかった母の努力と、世間が皆自分の家と同じだと信じて疑わなかった、無垢だったあの頃。


中学生の頃。
 
相変わらず友達は多くはないが、それでも少人数ながら信頼できると思う友達というのがいて、そこそこ楽しく学校に通っていたと思う。
 
しかし、中学1年の終わり頃。
 
多分初めてだと思うのだが、露骨に人から嫌われているという態度を取られるという機会がやってきた。
 
しかも、原因が分からない。
 
部活の先輩から、突然無視されるようになったのだ。
挨拶をしても返してもらえない。
私が先輩達の前を通ると、急にピタリと止まる会話。
 
悪口を何処かで聞かれていたのかもしれないし、何か原因があったのかもしれない。
だけど、この頃からだ。
 
私は初めて他人を怖いと思った。
 
 
数ヶ月の辛い日々を乗り越え、2年になってからは謎のシカトも収まり、また普通に接してくれるようになったが、私は未だに理由が分からないまま無視されていたという事実がトラウマになっている。
 
この頃から、周囲の他人が怖くて堪らなくなったのだ――


中学2年。
 
思春期真っただ中。
そして、ここで初めて心の底から友達と呼べる友達ができる。
 
思えば今まで、内気な性格もあいまって、何となく周囲から寄って来てくれる子と友達になっていたところがある。
今考えてみても不思議なのだが、どう考えても話が合わないよなと思うような子とつるんでいたから今もって謎である。
 
別のクラスの女子の視線が気になる年頃。
特に何があった訳ではなかったが、何故か他人の目が、他人からどう見られているのか、が気になってたまらなくなっていった。


中学3年。
 
家庭問題が明るみに出始める。
 
ここで始めて、一つの絶望を知る。
今まで普通だと思っていたからこそ受け止める事ができていた事を、普通でないと知ってしまった時――
 
私の中で、何かが崩れた。
 
そして、きっと大丈夫。何とかなる。
信じていれば、きっと変わる。
 
その思いが、何度も何度も裏切られた。
 
それからはもう、ダメだった。
 
高校3年間の事は、あまり思いだしたくもない。
 
いじめられていた訳でもないし、友達だってちゃんといた。
 
だけど、もう他人から嫌われていると思って生きていかなければ、そこに立っていられない程だった。
 
結局、私は傷つくのが怖いのだ。
 
 
ならばいっそ、
 
最初から嫌われていると思って生きていた方が、本当に嫌われていたとしても
受けるショックは小さくなる。
 
前向きに考えて生きて、事実は前向きどころか後ろ向きになってしまうくらい辛い現実があったら、
最初から後ろ向きに考えている方が、きっと耐えられる――
 
そうだ、
私はいつからか、ネガティブに生きることで逃げるようになったのだ。
 
そして事実。
自分が選んで歩んできた道は、
はっきり言って、辛くて険しい。
 
でもネガティブに考えているせいか、
そのショックは、受け止められる範囲内にあるのだ――


 
という訳で、私のネガティブ歴は筋がね入りです。
もう軽く10年?笑
 
今日、本当に露骨な態度を取られて、笑うしかないくらいでした。
 
今の仕事で、新卒新入社員がやってしまうようなミスを犯したのです。
そしてその時に凄い剣幕で罵倒されたんですけどね。
 
それからですよ。
その人から露骨に無視されたり、冷たい態度を取られるようになったのは。
 
 
これは明らかに私に非があって、自分でも仕方がないとは思ってますけどね。
その理由以外に、「若造が!」とか、「気に食わない」とか、絶対そういう「生理的に好かない」みたいな理由が含まれているんだろうな、という気配がぷんぷんして、
 
あー
 
また久々に物凄く人から嫌われたなあ!と、
この現状に笑うしかないのでした。
 
だから自己啓発小説を読んでも、
そんなあからさまに嫌われていると分かるような態度を取る人に対して、「私は(その人)が大好き!(その人も)私の事を好きでいてくれる!」と思うことの難しさを痛感したのでした。
 
そんな風に思える人がいたら、そりゃ神様か仏様しかいませんって。
 
心が狭いんですかね。