No-music.No-life

ヤフーblogから移行しました。

卑怯モンと呼ばれて、特に差し支えないようです。

どうせ私が行った所で、誰も喜ぶ人なんていないんだろうな。
いっそ、行かなくてもいいんじゃない?
だって別に、誰も私がいた所で喜ばない。

自分は多分、人を引き立てる役というのが一番性に合っているのだから。




友達に、
可愛くて、思いやりがあって優しくて、それでいて自分の信念をしっかりと持っているよく出来た子がいる。

前に同じ職場で働いていた子なのだが、その可愛さと性格の良さから、その場にいるだけで場の雰囲気を和ませつつ、華やかにするという存在感を持っていた。

それはその友達だけに限らず、職場や学校や、ちょっとした集合体の中で輝きを放つ人というのはどこにでも1人や2人はいるものである。

そしてその逆で、その人の存在が逆に場の雰囲気を悪化させたり、暗くしたりするという人間もまた存在する。

私は絶対に前者ではないと否定出来るが、後者ではないとは言い切れない。

むしろ最近、後者に値していると思えて仕方がない。


何をやっても、許される人間というか、キャラクターの子がいる。

普通だったら、「お前いい加減にしろよ!」というようなことも、そういうキャラクターの子がやると、何故か許してしまえるから不思議なのだ。

そしてそういう子は、間違いなく前者の人間である。
結局その子の存在というのは、場の雰囲気を和ませている訳だ。

誰からも求められて、歓迎される人間。




なんかもう、どうでもいいやって思うけど、
友達と会うのも、そういう事を思うと何だか悲しくなる。

私が行った所で別にどうってことないし、何も変わらない。
でも別の友達が来てくれたら、誰からも歓迎されて喜ばれて、雰囲気も明るくなるんだろうな。


だけど、「自分はお前が来てくれたら嬉しい」なんていう言葉が欲しい訳ではない。

まして、待たれたり期待されたりする事は嫌なのだ。

凄く矛盾しているかもしれないけど、私なんかからの連絡を待っていて悶々とさせてしまっているだとか、自分を好きになってくれた人が表れたとしても、それが自分にとっての好きな人でなければ、途端に息苦しくてたまらなくなる。

だからだろう。
本気で好きになれない相手と付き合っても、その息苦しさに耐えきれなくなって、私は逃避してしまう。

自分の存在なんぞで、誰かを苦しめたり、不快な思いを抱かせたくないのだ。

誰よりも自由でいたいし、束縛されたくもないし、したくもない。

私という足枷にはまってなんていないで。
あなたはもっと、自由になれるのに。

そんな事を思ってしまう。




私は大概の芸能人が嫌いだけど(好きな芸能人もいるが、嫌いな人のが圧倒的に多い)、ネットで嫌いな芸能人のニュースにコメントされている批判的なものを読んで、気分がすっとしている。

そしてそんな批判コメントに同調するかのように、「私もそう思う」にクリックしてしまう。

そんな人間は、私だけだろうか?

                    *****

誰かの日記を読む度に、それがとても充実したものであると、私は途端に苦しくなる。
うらやましくて、妬ましくて、そして眩し過ぎて思わず目を背けたくなるような・・・。

だからそれを読むことが出来ない。

対して私の日記の、なんとネガティブなことよ!