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思い出の割合は

人は、誰でも思い出を持って生きている。

昨日のこと。

母が突然言った台詞に、思わずはっとした。

「人は、良い思い出を6割、悪い思い出を3割、どちらでもない思い出を1割の割合で持っているってテレビでやっていたけど、お母さんには悪い思い出ばかりしかないよ」

やっこさん、少々お疲れ気味のようである。

確かに、小学校の頃から先生にセクハラまがいの嫌がらせを受け、家では母親との確執があり、家を出たい一心で結婚した相手はろくでもない男で、貧乏苦労生活を強いられた挙句に離婚――

確かに、母には悪い思い出の方が多いのであろう。

それにしても――と思う。

私も6割も良い思い出はない気がするのだが。どういうことだ。


母が何かで聞いたんだか見たんだか……それによると、人というのは、悪い事を忘れようとする機能が強いのだそうだ。
だからこそ、無意識に悪い記憶よりも良い記憶を覚えておこうという意識が働くということなのかもしれない。

しかし、人生25年を生きてきた私。
10代にあまり良い思い出がないのである。

考えてみても、良い思い出より悪い思い出の方が意外と鮮明に覚えていたりするからどうしようもない。




先日、会社の同僚の方と出かける機会があったので、色々な事を話したのだが――

ふと、何かのきっかけで苦労話についての話題になった。

「私……苦労話なら負けないっすよ。結構シビアな10代を過ごしてきたんで」

当時こそ家族の秘密、誰にも知られたくない汚点と思っていた出来事を経験してきたのだが、今となっては割と普通に人に話すことが出来る。

ただ、この不幸話は際限なく出てくるので、人に言うとドン引きされる危険性が常に伴っている。

「苦労してるんだね……」と相手に言われても、その後が続かないという事も多いのだ。
はっきり言って、人の苦労話こそ聞きたくないものはないだろう。
それがリアルにシビアな現実を生きてきたという話なら、尚更だ。

真っ当な家庭環境に育っている人であれば、基本的にその苦労を理解することは出来ないだろうし、同情の仕様もないのだろう。

それを分かっているので、割とあっけらかんと「もう今だから言えますけどね」と笑いながら話してみたりする(正直、ここまでくるまでに結構時間はかかった)。

すると、

「そんなに苦労してたんだね。でも、そう見えないから凄いよ」

と言われたのだが、これはどう受け止めたらいいんだろうと一瞬思った。

自分の中では、自分自身は絶対普通の人より苦労を経験してきたと思っている。そこはもう、とても自信を持って思っているのだけれど、だからこそ、人より悲壮感や負のオーラを纏っていると思っていたのだが――人からはそう見えないというのだろうか。

確かに、儚そうな外見には見えないだろう。
ええ、見えませんとも。健康そのものですとも。

しかし、ちょっとばかし「幸が薄そう」と思われていてもおかしくないと思っていたのに、じゃあ私は一体どんな風に見えていたというのだろう? と思う。

苦労をしていても、それを微塵も出さないで生きている健気な女に見えているならまだいいが、苦労の一つも知らないで、両親に愛されてお金のことも、将来のことも、全て楽観的に考えられる能天気な女だと思われていたとしたら――結構憤慨である。

まあ、家のことについて冷めているとは思われているとは思うのだが……。


驚いたことに、私から見たら不幸オーラと、一生分の苦労をしょいこんじゃいました、というように見える母も、友人達から「そんな風には見えない」と言われるのだそうだ。


まあ、幸薄そうと思われていたらそれこそ惨めな気もするし……。
うーんでも、なぜかしっくり来ないんだよなと思ってしまう自分がいる。




冒頭の話に戻るが、
私の中では良い思い出は3割、悪い思い出が4割、どちらでもない思い出が1割、切ない思い出が2割である。

いや、切ない思い出が実は一番多いのかもしれないけれど。

皆様はどうですか?