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博士の愛した数式

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「ぼくの記憶は80分しかもたない」博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた──記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。

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初めて読んだ、小川洋子さんの本でした。
かの有名な、第1回本屋大賞受賞作品で映画化もされてますよね。

ずっと気にはなっていたのですが、有名だし、自分は数学嫌いだしと思ってずっと読まずにいたのです。
図書館で借りられたので、早速読んでみました。


数学が大嫌いな私でも、すんなりと読めた作品でした。
数学博士だけあって、素数とか√とか数字とか・・物凄く沢山難しい数式が出てくるんです。
見てるだけでうわー!と思うような。

けれども。

すいすい読めちゃうこの感じは何だろう。


1時間20分

たったの、80分しか記憶がもたないって一体どういう状況なのだろう。
想像も出来ない。

既に沢山の家政婦が、博士の元で仕事をしては辞めていき、そんな博士の所に勤めるようになった「私」。
博士は、毎回80分を過ぎる毎に私に同じ質問を繰り返す。
それは不思議なことに、数に関する質問ばかりだった。
足のサイズ、電話番号、生まれた時の体重・・

いつしか「私」の息子も一緒に博士の元で過ごすようになり、博士は息子をルートと呼んで酷く可愛がった。

博士は、忘れてはいけないと思う事を、自分の背広にメモ用紙を貼り付けて書きとめておく。
そこに「私」の似顔絵が書かれたメモがつけられる。

博士の記憶は、事故の前までで止まっている。
それ以降はどんなに何かをしても、誰かと過ごしても新しい記憶をとどめておくことができない。

博士と、私とルートと一緒に行った阪神戦の試合観戦。
3人で過ごした時間はこんなに沢山あるというのに、80分後、彼は全ての記憶を失ってしまうのだ。


・・こんなにも悲しい事はあるでしょうか。
不都合な事(例えば、博士の記憶と食い違った現代の記憶などでうっかり発言をしてしまったり)を忘れてしまうというのは、いい部分でもあるのかもしれない。

でも、一度家政婦を頸になったあと。
「私」が思うのは、博士が決して自分たちを思い出してはくれないということなのだ。

誰よりも濃密な時間を過ごしたと思っても、それは博士にとっては忘れてしまう記憶の中の出来事でしかない。

けれども、私とルートの懸命な努力(何度同じ事を聞かされても嫌なそぶりを見せない事、博士が記憶をなくした時にも動揺しないような対処など)は、特に10歳のルートのその大人顔負けの徹底した態度には思わず目頭が熱くなる思いでした。

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映画は話題にはなったけど、あまりヒットしてない感じでしたよね。
そっちの出来はどうだったのでしょう?

でも、原作は数学嫌いでもすんなり読めます。
優しい気持ちになりたい気分の時にはぜひぜひ。お薦めです。