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最下位女子高生⑫~中学生編~「受験、そして卒業」

私立高校の保険はない。
公立、一本。

頭は中の上位、生活態度には問題はない、部活も3年間ちゃんとやり遂げたし、中2、3年と皆勤賞だし、いくつか作文とか標語で表彰もされたし・・大丈夫だ、あとは試験さえそれなりに出来れば。


中3の一大イベントといえば、修学旅行の他に何より高校受験という最大のイベントが待っている。

私は中1の最初のテストでは、280人中200番台とか取っちゃうような馬鹿だったのだが、根っから努力だけはする人だったので(今は違うけど)、中1の3学期位から少しずつだが順位を上げてきていた。

特に理数系は赤点を取るものの、国語は常に80点以上だったのでまず5を取っていた。
音楽も吹奏楽部の意地もあり、4以上だった。

何より頑張ったのは、中2の時の社会だ。

国語・数学・英語以外の主要ではない教科ではあったが、元々ノートまとめが好きだったせいもあり、そして当時進研ゼミをやっていたせいでしょう、めちゃくちゃ自首学習をして、自分なりにノートにまとめていたんですよね。

で、当時担当してくれていた先生がこういう細かい作業が好きな人だったんですよ。

そうしたらノートを褒めて下さって。

その結果、テストの点数もどんどん上がっていって。

通知表が、一学期→3 二学期→4 三学期→5ってなっていく様はかなり嬉しかったなあ。

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だがしかし、努力の力は真の頭の良い奴らには到底及ばないことを知った中3。

中2の時点では、130番台くらいから100番を切る位まで順位を上げてはいたのですが・・
ここに来て成績は伸び悩みます。

これで一般入試を受けても本当に受かるのか?

自問自答。
そうして不安な中、三社面談が行われました。

その頃の成績は、何とか80番台をキープしている所。
頭が良い人は、50番以内に余裕で入っているので(妹はそうだった)、私はやはり中の上というランクだったと思います。

そして、クラスの仲良しのグループの子達は自分含め8人中4人が多分50番、いや30番圏内の人だったんですよ・・・

栃木県の一番頭の良い高校とか受かっちゃったり、高専に受かっちゃったりとかね。そういう凄い人ばかりの中・・

担任の一言は、しかし意外な言葉だったのでした。


「すきま風さんの成績なら、推薦を受けられますよ」


努力をする人間を神様は見捨てない、という事がはっきりした瞬間でした。

家庭の事情で私立を受けられず、一般に落ちたら二次募集、または定時制?とまで考えていた私としてはかなり嬉しいことでした。

これで、チャンスは二回ある。
希望を胸に、推薦の為の準備が始まりました。

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まず、推薦入試といえば

作文です。

こっちは、かなり得意分野だったので問題はありませんでした。
が、もう一つ・・

面接という、最大にして最も重要な難関が私を待ち構えていたのでした・・


私は、今もそうなんですが・・人の目を見て喋る事が苦手です。
特に中学や高校の頃は、過剰に周りの目が気になり「私は嫌われている」「悪口を言われているのでは?」とおびえていたせいもあり、面接官と目を合わせながら喋ることなど不可能ではないか?と震え上がっていました。

推薦入試を受ける生徒達の為に、放課後先生達が面接官の役割をしてくれ練習が始まりました。

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初日。

緊張と不安がMAXに達した私は、まずドアから室内に入る所でズタボロに注意されました・・

その時点で何度も注意を受ける為、一向に中に入らせてもらえないのです。

一日目にして、挫折をしそうになりました。


しかし、二日目、三日目となると少しずつ慣れてきたのか・・ようやく先生の仮面接官との対話という所にまで辿りつきました。

そして、あろうことか少しずつ褒められるようになってきたのです。


大丈夫、きっといける。

家でも一人でこっそり練習しながら試験当日が近づいてきます。


問題は、電車を乗り間違えないかということと、お腹が痛くならないか?というただそれだけです。

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試験当日。

何やら隣のクラスの男子がずっと同じ車輌にいた気がするのは、担任が気を利かせて電車が苦手な私が分かるように、と考慮してくれていたと思われます。

ほんと20歳位まで一人で電車にも乗れなかったんですよね・・

学校に無事到着すると、まずは作文です。

これが予想外に、1枚の紙に3つのテーマで作文をかけという字数制限ありの問題だったのです。
これには少し戸惑いました。

私は、絶対原稿用紙を埋め尽くす位長文を書くということが得意だったのですが、逆に字数が決まっていると上手く書けなくなる人だったのです・・・

ですが、何とか全て書き終えて次は面接です。

緊張の面持ちの中、「どうしてこの学校を志望したのですか?」という質問で「将来就職に有利になるように、資格を沢山取ろうと思ったからです」とか言ったのは覚えています。

目を見るのではなく、首元を見るようにして・・何とか試験を終えたのです。

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数日後・・・

担任の先生に理科室に呼び出され(理科担当だったので)、手をぎゅっと握られ「おめでとう!」と言われました。


ただ、他の受験がまだ終わっていない子達の手前、あまり大声で受かった!と言わないように・・と注意を受けて、私は一人歓びを噛み締めていたのでした。

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しかし、私立の滑り止めを受けていた親友のM美が受験に落ちたのです。
後に本命は受かったのですが、最初は私と同じ高校を志望していた彼女は、どんどん安全圏にランクを下げていたのです。

私は、M美と離れる事が不安で仕方がありませんでした。


それでも、受験に落ちた人も就職する人も、受験に合格した人も・・それぞれが進路を決め、卒業の時がやってきました。

卒業式の前日にK君に告白し、見事玉砕した私は前日に泣きすぎたせいか当日は全く涙が出ず、旅立ちの日にの全員合唱で、隣のM子が泣いているのにつられそうになりつつも・・

結局は全然泣けないのでした。

そして、私達グループは、後半ずっとぎくしゃくしていたのですが、最後は笑って旅立つことができたのです。

沢山写真を撮って、「高校に行ってもまた会おうね」なんて言い合いながら、3年間学んだこの教室から旅立って行きます。

最後に、クラスで気になる存在だったA君に寄せ書きを書いてもらいたかったのだけれど・・
接点がなかったのでそんな勇気もなく(笑)、結局ちょっとだけ後悔を残して私は卒業したのでした。


その後、クラス文集作成の係に立候補していた私は、春休み中に何度か中学校を訪れました。
その頃友人のEが持っていたMDに時代の流れを感じつつ(懐かしい!)、部活での先輩との問題、沢山の思い出、友とのちょっとした気まずさ、苦痛だった文化祭実行委員・・

そのどれもが、あんなに嫌だったと思っていたのに・・卒業してしまうと、何だか「あの頃が青春だったなあ」と思えてくるのが不思議です。


そして、中学卒業から高校入学までの何者でもない宙ぶらりんな時期を経て、学校説明会で緊張し、ようやく高校入学という大イベントがやってくるのです。


そこにまつのは、『最下位女子高生』であるとも知らずに・・


という訳で、中学生編は終わりです。
長々とありがとうございました!