今日は1日でおまけに日曜日だったので、観に行ってきたのですが。
一人だから何とか席は空いていたものの、一番前まで人がいました。
一人だから何とか席は空いていたものの、一番前まで人がいました。
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100年前、日本には「蟲」と呼ばれる妖しき生き物がいた。 それは精霊でも幽霊でもない生命そのものであり、時に人間にとりつき不可解な自然現象を引き起こす。 蟲の命の源をさぐりながら謎を紐解き、人々を癒す能力を持つものは「蟲師」と呼ばれた。 そんな蟲師のひとり・ギンコは蟲を引き寄せる体質のため果てしない旅を続けている。 彼は旅先の宿で角がはえた少女を癒し、さらに文字で蟲を封じる美しい娘・淡幽に会うため、彼女の屋敷を訪ねる。 だが、ある事件をきっかけにギンコ自身が蟲に冒されてしまう・・・ 蟲に憑かれたギンコの運命は-
物語は、とある母子が雨が降りしきる山道を歩いているシーンから始まる。
幼い息子が、何かの気配に気付きふと立ち止まる。
息子には、「蟲」の存在を見ることが出来た。
息子には、「蟲」の存在を見ることが出来た。
そして母子を襲う突然の土砂崩れ。
土砂に巻き込まれた母は死に、息子は怪我を負いながらも一命を取り留める。
その姿を見つめる誰か-
その姿を見つめる誰か-
雪道を歩く青年。
しかし髪は白く、片目を失っていた。
しかし髪は白く、片目を失っていた。
一晩の宿を求め、山奥にある民家を尋ねる。
その青年は、蟲師・ギンコという。
女将から、そこに住む3人の者達の片耳が聞こえない状態になっているのを何とかして欲しいと依頼される。
それは「蟲」のせいだと知ったギンコは、
背中にしょっている大きな戸棚から薬を調合し、耳に流し込む。
背中にしょっている大きな戸棚から薬を調合し、耳に流し込む。
するとその者たちの耳は元通りになった。
更に旅を続け、立ち寄った「蟲師」たちの休憩所でとある「虹」を求めて放浪している虹郎と出会う。
そして、虹郎はギンコと一緒に旅をすることになった。
次にギンコが訪れたのは、代々蟲に取り憑かれた家に生まれた淡幽の所だった。
蟲に片足を侵食されながらも、これまで蟲の記録を指先で巻物へと書き付けてその力を封じできた。そうすると、それが文字の墨となり体から出て行くのだ。
蟲に片足を侵食されながらも、これまで蟲の記録を指先で巻物へと書き付けてその力を封じできた。そうすると、それが文字の墨となり体から出て行くのだ。
しかし淡幽の元をたずねた時には、既に酷い高熱にうなされ足元にあった墨色のあざは体中へと広がっていた。
ひと月前にやってきた盲目の女蟲師-ぬいが語った話を書き付けている際、体調が急変したというのだ。
ヨキという少年を解放し、情をかけるようになったぬい。
池に近寄ってはいけないというぬいに反発するかのように、池に近寄ったヨキ・・
池に近寄ってはいけないというぬいに反発するかのように、池に近寄ったヨキ・・
現実と過去の映像が交差する。
そしてその話を書いた巻物を読んでいたギンコは、「ヨキ」という子供の話にさしかかった途端に蟲に取り憑かれてしまう・・・
果たして「ヨキ」とは誰なのか?
昔の記憶を全く失っているギンコの過去とは・・
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蟲の映像が気持ち悪かったです。
舞台設定は違えど、数100年前の日本ということで何となく「どろろ」の魔物の気持ち悪さと被るものがありました。
ただ、蟲師の方が自然の壮大さとか蟲の世界を十分に表現していたと思います。
どろろはスピード感はありましたけどね。
でも、最初の少年の話とギンコの今がリンクしているのに気付くまで時間がかかりました。
その話とつなげられるまで、ギンコが片目を失っているだとか、蟲を寄せ付ける体質の為に一箇所に留まれないとかそういう細かい設定が物語の半分位まで分からないんですよ。
原作を見ていれば違うのかもしれないですが。
だから難しいと感じたのかもしれません。
ギンコと恋仲にあるらしいのだけど、ほんのりとしかその感じが出されていないので一瞬気付かないくらい。
でも癒されました。
暗くなりがちな物語の中で、こういう存在は貴重だと思います。
まあ駄作ではなかったと思いますが・・
難しい映画だったと思います。
難しい映画だったと思います。
私の中では。