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どろろ

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戦乱の世に生まれた百鬼丸(ひゃっきまる)は、48体の魔物に奪われた“自らの肉体”を取り戻す旅に出る。それは、まだ見ぬ父親が、かつて魔物たちと交わした契約の代償であった。そんな彼の前に現れたのが、天涯孤独の盗人“どろろ”だ。戦の悲運によって運命的に引き寄せられた二人は、自らの未来を切り開くため、荒涼の大地を駆け抜ける!

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今話題のどろろを観に行って来ました。

最近は話題映画にも興味を持ち始めて、観てますね。
妻夫木君も柴咲コウも好きなので、尚更観てみるか・・という気になったのですが。

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世は戦乱の時代。

大勢の人間が戦で死に、混乱した時代の天下統一を目指す醍醐景光は、48体の魔物が封印された地獄室へとやってきた。

そして魔物たちと契りを交わす。

「やがて産まれてくるお前の子供を捧げろ」

たとえ子供を奪われても、野望の為であれば後悔はしないと景光は言うのだった。

そして生まれてきた子供は、五体はおろか五臓六腑に至る48の部位を奪われていた。
子供を産んだ母、百合は悲しみながらもその子を川に流してしまう。

20年後。

天下統一の結果、さらなる戦乱と荒廃を広げていく中・・
たくましくしたたかに生きる男装のどろろはある日、一人の青年と出会う。

百鬼丸というその青年は、酒場に潜んだ魔物を自分の手にしこんだ刀で鮮やかに叩き切ったのだ。
更に突然苦しみ出したと思うと、突然足が抜け落ち新しい足が生えてきたのである。

誰もがおびえる中、興味を覚えたどろろは町に繰り出し百鬼丸の正体を知ろうと琵琶法師からその秘密を聞かされる。

昔、呪医師と呼ばれる男が、川から流れてきた赤ん坊を拾った。

その赤ん坊は、五体はおろかおよそ人間の形をしていない肉の塊のようだった。
だが、生きようとする医師を強く感じたことで男は赤ん坊に肉体を与えることにした。

そして、医術と秘術の全てを注ぎこみやがて人間の形をした百鬼丸が誕生したのだった。

そして男の死期が迫り、百鬼丸に実の父親ではないことを告げる。
更に自分が死んだら家を焼き払うように言い、悲しみに打ちひしがれながらも百鬼丸は家を焼き払う。

すると天の声がどこからともなく降ってきてこう言うのだった。

「自分の肉体を取り戻したければ、それらを奪った48体の魔物を切り伏せよ!」

それから、百鬼丸は自分の肉体を取り戻すべく魔物を倒す旅をすることになったのだ。


百鬼丸が魔物を倒す時に使う刀で、親の敵討ちに景光を殺す事を目論むどろろ百鬼丸についていくことにする。

自由奔放であり、したたかなどろろ
そんなどろろを最初は邪険に扱う百鬼丸だったが・・

いつしか二人は友情を深めていく。

徐々に自分の体を取り戻していく百鬼丸
魔物退治の手助けをするどろろ

しかし百鬼丸の実の父が、景光であると知った二人は・・・


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ほぼCGです。
魔物とか、アクションシーンとかも。

でも、だからと言って飽きさせない作品に仕上がっていると思います。

何よりどろろの奔放さと悲しみを背負った弱い部分の相反した所が魅力的。
柴咲コウが、綺麗な顔して物凄く汚い言葉を(「てめえ」とか「ねえんだよ」とか)使う所、終始叫ぶように話す演技が場を和ませたり、ほろりと見せる泣き顔にこっちまで寂しくなってしまったりと飽きません。

更に、実の両親に捨てられ父と戦う事になってしまった孤独で、でもめっぽう強い青年を演じる妻夫木君の抑えがちな演技も素敵でした。
最初はどろろにも誰に対しても警戒し、敵対心むき出しだったものが最後には笑顔を見せるようになってこっちまでほっとしてしまいました。

魔物や死体がとてもグロかったですが、戦いのシーンはスピード感があってなかなか迫力がありました。

手塚治虫さんの原作は読んだことがないのですが、原作と比べるとどうなのでしょう?

少なくとも邦画にありがちなスケールの小さい感じにはなっていなかったと思うけど。
あまり映画を観ていない人だったので、いまいち比較しようがない。

それなりに面白かったかな、という感じでしょうか。

それにしても、柴咲さんと妻夫木さんはプライベートでも付き合っているんでしたっけ?
だからこそ息が合ってましたね。


エンドロールで観て初めて知った監督が、あの害虫の塩田監督だったということ。
塩田監督の映画を見るのは、実はこの作品で2回目でした。