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最下位女子高生⑥ 中学生編 文化祭の悲劇。

学年が前後してしまうかもしれませんが、今回は中学3年の文化祭の話。

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中学の頃、活発・・というより自動的に所属を決められ、活動しなければならないあの厄介な活動・・

委員会

この委員会という事においては、私の中学三年という一年は灰色の時代でした。
ちなみに部活は一年の時が灰色でしたが。

4月。
新しい委員会活動を決めるべく、学級の時間を使い各々の委員会へと所属を決めていくクラスメイト達。

図書委員会とか、通学委員会とか、給食委員会とか、保健委員会とか・・
私が割と嫌いじゃない委員会がどんどん埋まっていき、私は焦っていました。

というのも、皆考えは同じで厄介な委員会というものは倍率が低く競争相手もいません。
しかし競争率の激しい委員会は、じゃんけんバトルが繰り広げられるのです。

そのバトルに負け、私はあと数人が所属を決めれば委員会決めが終了する・・というところまで残ってしまいました。

残るは、クリーン部隊(学校の清掃活動・大所帯)と文化祭実行委員

クリーン部隊は、掃除をしなければいけなくてとても面倒くさく、ならば文化祭実行委員を!と単純な考えでその委員会を選んでしまったのです。

それが悲劇の始まりでした。



委員会は、クラスで一人が大抵所属するものなのでなんとしてでも他のクラスの友人と同じ委員会になっておかなければなりません。
早速小学生以来の友人のTちゃんに伝え、きっと同じ委員会で楽しく出来るよね?
と余裕をかましていました。


すると・・

Tちゃん「ごめん・・文化祭実行委員・・駄目だった・・」

その一言は私をどん底へと突き落としました。
いやしかし、誰かいるだろう。
誰か。

そう思っていたのがそもそもの間違いだったのでございます・・・。


委員会活動初日。

理科の担当(男・7組担任)と数学の担当(男・6組担任)の先生二人が取り仕切るこの委員会。
場所は理科室。

30人強の1年~3年までの生徒が、理科室の席へと座り始めました。
同じ列の場所に、同学年の子が座ったのでちょっと離れて私は席へ着きました。

きっと誰か友達と同じ委員会になれなくて一人になる子がいるだろう・・

その時はまだ淡い期待を抱いていたのです。

しかし、席が埋まるくらいになっても私はまだそこにポツンと一人で座っていました。

そして先生が来て、委員会が開始された時には既に全員が集まっていて気付けば私だけが一人でした。

1年にも2年にも3年にも、私以外に一人になっている子はいませんでした。

何ということでしょう。

しかもよく見ると、同学年の子たちはほぼ全員がどちらかというと権力を握っているクラスのボスみたいな人が集まっていました。

そして類は友を呼ぶのです。
同じ仲間と輪を作って座っていて、私みたいな地味女子など3年はおろか1年にも2年にもいないように思えました。

担当教師は、折りしも大嫌いな理数系の先生!そして私が嫌いな先生だった上、一人ぼっち。

私の魔の月曜日が始まったのです(委員会は月曜の六時間目)。

更に悲劇は続きます。


「文化祭実行委員は、文化祭の時期以外に特に活動がないので一年を通して選挙管理委員会と兼任でやってもらいます」

衝撃の一言でした。

委員会一日目にしてお先真っ暗(委員会の度に友人にこう漏らしていました)だったにも関わらず、何それ?
兼任って何それ?!

しかも一年って何?!

大抵委員会は学期毎に決めなおしていたのに。
何でこれだけ通年なんですか!!

そんな心の叫びは届かず、私は毎週一人ぽつんと座りながら委員会に参加していました。

あの惨めさといったら・・。


文化祭 ~地獄の日々~


選挙管理委員会の仕事を年に二度。
前期・後期でやり(投票の集計などは面白かった。幸い、クラス毎に仕事を割り振られたので、男子と仕事をしていたからまだマシだった)、途中相方?のクラスの男子が生徒会に立候補したせいで男子が変わったりしたりもして。

そんなこんなで文化祭が近づいてきました。

文化祭前には、アンケートでテーマや内容を決めます。

アンケートの集計から始まり、前夜祭と後夜祭はやるかやらないかなどを決めていきます。

そして前夜祭はやることが決まり、文化祭当日の役割分担(ライトをあてる係だったり、司会進行係だったり)を決め準備を始めます。

嫌な事に、週一だけ耐えればよかった委員会の集まりは増えて行き息苦しさが増していきました。


そして何故か私が担当することになったのが、文化祭(一般公開日)の司会進行役だったのでした。

喋るの苦手なんですが?
と思いつつ、あの同学年の方々に逆らう勇気などございません。

残り物だった気がします。

それと、一つ幸運なことに同学年の子の中で唯一理解のある子がいたことです。
私なんかと同じ係を快く引き受けてくれたのです。


それから、原稿を渡され家に持ち帰ったりの練習。
リハーサルの日々。

更に、クラスの出し物(バルーンアートみたいなやつだったか?)を準備し、更に前夜祭でステージで踊るダンスの練習と、吹奏楽部の文化祭発表の練習もあったりとなかなかハード。

先生に頼まれて伝えに行った伝言なのに、伝えたら何故かいやみに怒られ、泣きそうになりながらもとうとう本番です。


文化祭・前夜祭のダンスと司会


全ては、内申のため。
前夜祭。
恥ずかしい思いを捨て、音楽の選択授業でやっていたダンスをステージ上で踊る羽目になりました。

内申に影響する、と聞いてしぶしぶ踊ることに決めたのですが・・


の踊りでした。

その名もブラックビスケッツメドレー(笑)

メドレーと言っても、タイミング⇒スタミナ⇒タイミングという流れで、たった2曲。

私は一応、ナンチャン役だったのですがね。
全く笑わないで踊りましたよ。

未だにタイミング♪の所の振り付けを忘れられません・・。

もう恥ずかしくて覚えてません。。
観客の一番前は、3年1組がいて、そこに好きな人がいたんですよ?!
よくやったな・・私。。

私たちの前にやった友人たちのダパンプがかっこよかったです。
だからこそ、その次に踊る私たちは結構惨めでした・・。

私は踊り終わった後、知らない後輩に「天山!(あまざん)」と言われました。

天山はね、キャイーンの天野でね。
私はナンチャンだったんだよ?(微笑み)

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翌日。

文化祭本番。

司会進行は、体育館のカーテンを締め切り薄暗い体育館で。

「静かにして下さい」とか言わなきゃいけなくて、誰かにうらまれる・・とビクビクしながら言ったりしましたね・・。

二人で司会進行なので、交互に読み上げていく感じで進行していきます。

「次は英会話部による英語劇です。この劇は~(説明)」みたいな語りをして、進行していきました。

更に、吹奏楽部の演奏もあったので私は結構忙しかったんです。

だけど・・
バタバタして、でもようやく終わった時の達成感は、何とも感慨深いものがありました。

私なんかに出来るものか、と思っていたことをやり遂げたんです。

残るは後期の選挙管理委員会のみになり、肩の荷が降りて・・。

そしてそれが全て終わった時、泣きそうになりましたね。
本当に辛かったけど、よくやり遂げたって自分で自分を褒めたかったです。

多分これは、内申にうまく書かれたようです。


余談:あれだけ恥ずかしい思いをして踊ったダンス。音楽の顧問が出張で休んでいたため、見ていなかったという事実を後に聞かされました。
そりゃねえだろ!!


何かぐだぐだになりました。
すいません。しょうもない話でした。