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最下位女子高生③小学生編・夏休み。

この回で、小学生編を抜け出そうと思います。
だんだん嫌な思い出も浮かんできたからです。


小学校といえば、長い長い夏休みです。
(中・高とはまた違う)

勉強も程ほどに(夏休み専用の勉強するやつがあったのだ。国語も算数も。でもそれだけやればよかった。)、バイトもなく、ただ遊びほうけていても特に何の影響もない気がするあの夏休み。

それでも、小学生には勉強が少ない変わりに・・
絵や、統計グラフ(参加賞目当てでやってた。夏休みに学校の図工室で)、アイデア貯金箱、読書感想・小さな親切・人権尊重などの作文・・

と、10個位の課題の中から4個くらい選んでやったいたような気がする。

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①夏休みの宿題

私は6年間のほどんどにイデア貯金箱を選んでいたと記憶している。

イデア貯金箱とは・・
貯金箱を、色々な発送を元に手作りのオリジナルに仕上げる。
というまあそんなもので。

クラスで優秀作品に選ばれれば、市の公民館に飾られ、景品がもらえたりしちゃうのである。
(参加賞もあった)

そこで、私はそれを選んだものの・・・

キング・オブ・ブキヨー

なのである。

勿論、画用紙や工作用の木などを使ったハイテク?な貯金箱など作れるはずもない。

結果、
①自分が案を出す(スイカの貯金箱やタンスの貯金箱・雪だるまの貯金箱など・・)
②母に伝える。
③母作る。私見てる。
④完成。

という流れが6年の時まで続いた。

しかも、妹までが便乗し(器用なくせに!)
母は、毎年の夏休みに二つのアイデア貯金箱を作る羽目になったのだった。
(幸い、兄は関わっていなかった)

終いには・・

私→スイカの貯金箱(スイカはオプションであり、実際貯金箱として使えるかは不明。包丁で切れる仕組みにはなっていた)
妹→雪だるまの貯金箱(ちゃんと胴体と頭があり、白い毛糸?でぐるぐる巻いて作られていた。)

何と、入賞してしまったではないか!
姉妹揃って・・。

母の作品で、入賞した姉妹。

という、小学生ではありがち?な事をしていたという・・。

ちなみに、絵が上手い妹は置いておいて・・
中学2年くらいまで、母に絵を描いてもらっていた私。
いつも難しい風景ばかりをモチーフにしてしまい、怒られていたなあ。
自分でやらないから。

まあ、母が器用で絵や工作が得意だったのと好きだったのが幸いして出来た事なんですがね。

勉強の課題(算数は無理やり・超苦手)・作文は8月の前半には終わっていたのに、絵と工作だけはどうしても後回しになっていたのであります。

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②夏休みのイベント

夏休みといえば、ラジオ体操・花火・虫取り・肝試しである。

今のラジオ体操は、なかなか子供が集まらず時間とかずらしてやったりしているんですか?
怠けてますねえ・・。

私の頃は、無論ちゃんと家族が眠っている早朝からラジオ体操に出かけていました。

首に保護者のはんこを押してもらう為の台紙みたいのをぶら下げて・・

体操して、はんこをもらって、帰ってから勉強・・
と、大分規則正しかったなあ・・などと思ったりします。

はんこを全部押したら?だっけかな?
最後にお菓子がもらえるという、ただそれが楽しみで続けられたんだよな。
子供って、何でお菓子に弱いのだろう?

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花火大会や、祭りにはほとんど連れていってもらった記憶がない。
家族がね・・。

子供の頃、りんご飴がなめ切れなかった思い出は残っているけど、あれが最後だった気がする。

小学校6年の時。
友人のはからいで、好きだったY君や近所の男子を呼んで肝試しをやったのを今思い出しました。
(Y君とは地区が一緒だった)

一応Y君とは、同じぺアにしてもらったのだけど・・
特に期待したことは起こらず・・。

懐かしい思い出だなあ。

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夏と言えば、かぶと虫!

兄が例外にもれずそれらを飼っていたので、夏になると近所や少し遠い(小学生の感覚で)山に行き、虫取りに行っていました。

近所の男の子(年下)二人と、兄と私の四人で山へ。

私と男の子二人は、虫取りにおよそふさわしくない格好をしていました。
半袖・半ズボン・・

しばらくすると・・

突然、蜂の大群に囲まれていました(というか、兄が後ろを振り返ったらその状態だったらしい)。
次々と、全身を蜂に刺されていきます。

年下の男の子は泣きわめく。
私、痛みに耐えながらこらえる・・。
兄、動揺・・

しかし、咄嗟の判断で兄の同級生の家に駆け込みました。
同級生はおらず、その母だけが家に。
蜂に刺された旨を伝えると、応急手当をしてくれました。

そして、男の子は泣きながら帰宅。
母に心配され&怒られながら手当てをしてもらっていたのだけを覚えてますね。

記憶が、断片でしかよみがえってこないのもさびしいものですが。

余談ですが、兄だけはちゃんと長袖・長ズボンだった為に一匹も刺されなかったようです。
そして、小学校3・4年の時に再び靴下の中に潜んでいた蜂に足の指を刺された私でした。

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考えてみれば、なかなか面白い6年間だったのだろうけど。
それを学校生活に置き換えてみると、やはり何もいい思い出が浮かんでこないのでした。