年々減っていくもの。
①若さ ②体力 ③肌のきめ細かさ ④久々に会っても時を感じさせない友達 ⑤年賀状
ようせいさんの記事に感化され(トラバ先参照)書いてみることに。
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今年も、やっぱり性格上24日までに年賀状を出してしまう私でありました。
年末で仕事が忙しいというのに、毎日ちょっとずつ書き続け、中学時代、高校時代の友人、会社の方、恩師・・など、17枚くらい書いたのかな。
それでいて、毎年出しても絶対年賀状が来ない友人2人から、今年は珍しく届いたのでプラス2枚と。
年末で仕事が忙しいというのに、毎日ちょっとずつ書き続け、中学時代、高校時代の友人、会社の方、恩師・・など、17枚くらい書いたのかな。
それでいて、毎年出しても絶対年賀状が来ない友人2人から、今年は珍しく届いたのでプラス2枚と。
何だかんだで、友達いないと言いつつ、書いてしまうのですね。
だって実際問題、ほとんどの友人が年賀状だけのやりとりになっているんですもん。
ならばやっぱり、それでも続けていきたいじゃないですか。
ならばやっぱり、それでも続けていきたいじゃないですか。
メールよりやっぱり、少しでも手書きで書いてある文字を見ると安心する。
元気でやっているんだなあって思う。
元気でやっているんだなあって思う。
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だから・・
携帯のメールの味気なさがとても嫌だ。
携帯のメールの味気なさがとても嫌だ。
件名:「あけおめ!」
本文:「今年もよろしく」
本文:「今年もよろしく」
え?それだけ?!
いや、でも・・今回は自分からメールしていましたけどね。
住所知らない友人たちが(バンドのメンバーとか)多くて。
住所知らない友人たちが(バンドのメンバーとか)多くて。
それにしても・・やっぱり一番悲しいのは・・年賀状書くね!と言っていたのに年賀状が届かないとき、でしょうか。
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でも、今日になってもちょろちょろと届き続ける年賀状を見て、消印が30日になっていたり、29日に出したと言っていたものが今日届いているあたり、かなり到着が遅れてはいるみたい。
だからきっと、いずれ届くだろう・・
と思っていても、一向に来る気配がない年賀状に苛立ちは募るばかりであります。
だからきっと、いずれ届くだろう・・
と思っていても、一向に来る気配がない年賀状に苛立ちは募るばかりであります。
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「手紙書くね」
という言葉も、これと同様に社交辞令なのだと感じるのです。
という言葉も、これと同様に社交辞令なのだと感じるのです。
あとで連絡するね、という言葉やまた会いましょうと同じで。
絶対来ることはないだろうな、と実感しながら・・その場では期待しているような素振りを見せてみる。
どうせ来ないって分かっているのに。
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そんな社交辞令なんて、本当にいらないよ。
いちいち期待してしまう私みたいな奴には、ちょっと重い言葉だな。
そんな言葉を、大事な親友から言われると・・・とても悲しい。
年賀状書くね、という言葉と。
一斉送信したであろう年末年始のご挨拶のメール。
今年はちゃんと向き合おうって思っているから、メールを返してはみたものの・・返信は、ない。
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期待なんてしなければいい。
どうせ相手にとっては、1mgにもならない重みのない言葉なんだから。
ならば言わないで欲しい。
相手にとっては単なる社交辞令かもしれない。
だけど私にとっては、重みのある、大きな言葉だ。
だけど私にとっては、重みのある、大きな言葉だ。
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まあね、どうせ年賀状なんていうもんは忙しくて書けないとかで皆書きやしないんですよ。
忙しいって言っても、仕事して忙しい私(まあ暇だけどさ)だってかけるんだから。
人間、その気になれば書けるんだよ!
皆、年賀状を書きたまえ。
でも・・文章書くのが嫌いな人はやっぱり苦痛を伴うものなのかな。
私は好きだからあまり苦痛ではないけど、面倒くさいですもんね。
何が言いたいのか分からなくなりました。