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ランクヘッド『プルケリマ』

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うまく言葉に出来るか分からない。
この記事を、音楽レビューの書庫に入れる勇気がない。

今更だけど、記事にしてみます。
歌詞に重点を置いてみたので、全然レビューではないので。

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前作のミニアルバム『影と煙草と僕と青』とは、また一味違ったアルバムが出来上がった。

その名も『プルケリマ

以前にランクヘッドのライブを見た際に、このアルバムの収録曲「プルケリマ」と「木漏れ陽」を演奏していたので既に耳にはしていた。

しかしあの時、心に響いた音に間違いはなかった。


傷つけあい 求めあい 笑いあい 許しあったこと ありきたりの言葉で満ち足りたこと

このミニアルバムの冒頭の曲。

始まりの音。

東京に住んでいたら、きっと「東京の街でも星って見えるもんだとこっちへ来てから初めて知った」という歌詞が染みるんだろうな。

「インディゴ」

あんな風に空を飛びたいなあ 人が羨むような生活がしたい

何故か分からないけど、=== 人が羨むような生活がしたい ===という歌詞と音が頭から離れないのだ。

決して暗くも明るくもない曲調なんだけど・・・何故かその一節が耳に印象に残る。

「木漏れ陽」

たまに君の事ばかり思い出してしまう夜が来る
だけどいつか忘れていくから悲しいけれど生きていける

ライブで聴いた時、泣きそうになったくらい心に染みた曲だった。
今こうして音源として聴いてみると、やっぱり・・泣きそうになる。

冒頭のギターの旋律、何処までも優しい音色。
そして、この歌詞。

「ああ僕らはどうしてこんなにも 大事な物ばかりをその手からこぼしていくのだろう」

本当に、そうだ。
時が経って、大人になって、大事なもの、何一つ残っていない気がするのは・・・何故だろう。

「君とコスモス」

ああ、何もかもが穏やかで怖かった だからこのまま君の傍で息耐えたいと思ったんだ

穏やかなことが怖い時って、どんな時だろう。

でも、何故か分かる気がするのは、自分がそうだからかもしれない。

今ある幸せを、何処か遠くで見ているような。
その幸せを非現実なもの、有り得ないものとして捉えている自分とか。

今、「君」の傍にいることがあまりにも幸せで怖いとさえ思う。
いつか、なくなってしまうものならば・・いっそ「君」の傍で一生を終えられたら・・・

幸せなのかもしれない。

分からないけど。

この歌、好きです。

「僕らのうた」

だから変わり続けることはいつだって恐い
だけど変われないこともきっと同じくらい恐い

この言葉が、ズキっと心に突き刺さります。

変われない私。
変わる事が出来ない私。

変わり続けた経験はないけれど、変われないことは今尚経験している。

変われないことは、恐い。

このまま、歳を重ねていくだけなのかもしれないと・・不安を感じてたまらない・・。

「エレクトリック」

帳尻を合わせながら賢く生きていけないとなあ
終電間際の混雑で時々そんな事を考える

最初は、特に好きな曲ではなかったんです。

でも、サビが・・・
これはやばかった。

歌詞も勿論、音が、
衝動を吐き出すかのような、力強い音。

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ああ・・駄目だ。
もっと、いい記事が書けたらいいのに。