会社を出る頃には、もう雨が降り出していて、それでも用意してきていた折り畳み傘を開いて、駅までを駆け抜けていく。
何とか目的の電車に滑り込むことが出来て、今日はちょっと早く帰れると思いながら乗換駅へと下車する。
すると、くるはずの電車が来ない。
大雨の影響で電車が運休しているんだ・・・・・・。
――結局、その駅で1時間程待ちぼうけを食わされる。
そして動き出した電車に乗り込むと、途中の主要な駅から乗ってきた沢山の乗客と共に、すし詰めになりながら電車に揺られていた。
しかし、再び乗換の駅までたどり着いたものの・・・・・・大雨の影響で電車が大幅に遅れている。
待たされて待たされて――帰宅できたのは、会社を出てからほぼ4時間後の事だった。
なんとなく気持ちが塞いで、誰とも話したくないようなもやもや感を抱えて――何やってるんだろうな、自分と思う。
終わったことを何度も何度も繰り返し思い出しては、一歩も前に進めずにいる自分に愕然とする。
日々の不安は、夢にまで出てきて、何だかよく眠れない。
このままじゃいけないって思う。
思うのに、じゃあどうしたら良かったのかが分からないんだ。
思うのに、じゃあどうしたら良かったのかが分からないんだ。
不安ばかりが膨らんで、幸せが何なのかも何だかわからなくなって、何故だかとても、ただただ悲しいのだ。
結婚式で。
世の父親がいない新婦さんは、バージンロードを誰と歩くのでしょう?
親への感謝の手紙に「お父さん、お母さん」と言えないんじゃないでしょうか。
以前だったら、そんなこと考えもしなかったのに。
年齢を重ねるにつれて現実味を帯びてきたその問題に、なんとなく考えてしまう。
年齢を重ねるにつれて現実味を帯びてきたその問題に、なんとなく考えてしまう。
当たり前に、両親がいる家。
だけど夫婦仲が冷え切っていたり、既に愛情の欠片もないような家庭もあるのだろう。
だけど、それでも離れずにいるってことは、根っこがきちんと繋がっているから。
信じられるものがあるから、なんじゃないだろうか。
信じられるものがあるから、なんじゃないだろうか。
読んでいる本に、家族をテーマにしたものがあると読んでいて何だか胸が苦しくなる。
皆が当たり前に持っているものを、持っていない私は――
ああ、ダメだね。
今夜はゆっくりと休もうか。
今夜はゆっくりと休もうか。