No-music.No-life

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怒らない技術なんてあるのか。

怒りを露にすることは、色々な意味で疲れる事だと思う。
 
例えば声を荒げる時というのは、必然的にいつもより声が大きくなるし、体の動きも大きくなる。
それだけでも疲れるのに、怒った後に残る何も変わらないという現実、虚脱感。
冷静になった時の空しい気分も含めて、怒ったところで何も変わらないのである。
 
しかし、かと言って怒りを抑えて内に閉じ込めてしまうことは、私にとってはストレス以外の何者でもなかった。
ある程度言葉にして、例えばこのように文字にしてみたり、言葉として吐き出すことで何とかストレスと上手く付き合っていけているのだと思っていた。
 
だが最近の私はどうだ。
 
口に出してみても、文章にさらけだしてみても、ストレスと上手く向き合えていないではないか!
 
証拠に、最近やたらとお腹の調子が悪い。
ストレスが如実に腸に表れているというか、直結しているのか?!と疑いたくなるくらいに酷い。
 
そして最早仕事中の苛々感だけではなく、例えば通勤時間帯の電車の中でのちょっとした苛々の数々――雨に濡れた人の傘が自分にぶつかる、常識はずれな騒々しい乗客、イヤホンから容赦なく漏れるシャカシャカ音、マナーモードにせず豪快に大音量を響かせる携帯の着信音、我がもの顔で優先席に座る高校生、煙草臭いサラリーマン、咳やくしゃみを抑えもせずに周囲に風邪菌を撒き散らす者たち――とても些細なこと、その些細な嫌な事に耐えられなくなっている自分。
 
電車を降りた後も苛々は持続する。
道一杯に広がる騒がしい高校生・大学生。
放置自転車禁止区域にチャリを停め、歩道を狭くする大人。
歩き煙草で流れてくる煙草の臭い。
 
そう。
私はもうここまで(喉のあたり)暴言が出かかっているのだ。
 
あと少しで、そう、多分。
私は見知らぬ他人に対して暴言を吐いてしまうんだわ!
 
 
元々すぐに苛々するタイプだと思う。
だけどそれを今まで何とか押しとどめてきた。
なのに、今の仕事を始めてから、明らかに苛々の頂点が100が最高点だったとするならば、20くらいで頂点に至るというように、とんでもなく耐性がなくなったと実感するのである。
 
ちょっとでも嫌味な言い方をされると、すぐに頭に血が上り、言葉はとげとげしく、声のトーンは低く、もうどうでも良い、言い返してやろうか!という挑戦的な気分になってたまらないのだ。
 
どうしたら怒らずに生きていけるのであろう。
 
最近の、私の最重要課題である。